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監督目連経(ゴパカモッガラーナ・スッタ)

仏教

監督官モッガラーナ



目次

第一章 |  第二章 |  第三章

 

第一章

あるとき、わたしは、このように聞いた。

ある時、アーナンダは、ラージャグリハの、
カランダカニヴァーパに、止まっておられた。
仏陀が涅槃されてから、未だ日が浅い頃である。

その時のこと、ヴェーデーヒーの子である、
アジャータサッツ王は、隣国の野心を疑って、
ラージャグリハの城壁を、急いで直させていた。

そこに、托鉢に遣って来た、アーナンダは、
その監督をしている、モッガラーナを訪れた。
彼は、恭しく挨拶をすると、このように言った。

「アーナンダよ、ゴータマが具えた徳性を、
すべて具えている、弟子は存在しているのか。
少しは居るだろうか、少しも居ないのだろうか。」

「友よ、すこし具えている者は存在しても、
その一方、すべて具えている者は存在しない。
道を開いた者と、道に従がう者の、差は大きい。」

 

第二章

丁度、その時、城壁の修理の巡視に訪れた、
マガダ国の大臣、ヴァッサカーラが現われた。
彼は、恭しく挨拶をすると、このように言った。

「アーナンダよ、仏陀が亡くなられた後に、
誰が後を継ぐのか、予め決められていたのか。
ゴータマなき後、我々は誰に帰依すべきなのか。」

「婆羅門よ、後継者は、決められていない。
他に拠るべきでなく、法に拠るべきであると、
仏陀は、亡くなられる前に、繰り返されている。」

「我々は、布薩の日の夜に、一所に集まり、
各々が、法に背いていないか、自ら振り返る。
そうして、法に集うことが、出来ることになる。」

「それならば、現在、尊敬に値する比丘は、
居るのだろうか、もはや、居ないのだろうか。」
「バラモンよ、彼らは、少なからず残っている。」

「婆羅門よ、仏陀により、説き明かされた、
尊敬に値する比丘が有する、十の徳性がある。
それでは、この十つの徳とは、如何なるものか。

第一の徳は、戒律を修めて、持戒に徹すること。
第二の徳は、説法を聞いて、多学に徹すること。
第三の徳は、托鉢で暮らし、頭陀に徹すること。
第四の徳は、禅定を修めて、高次に達すること。
第五の徳は、神通が現われ、神足に通じること。
第六の徳は、神通が現われ、天耳に通じること。
第七の徳は、神通が現われ、他心に通じること。
第八の徳は、神通が現われ、宿命に通じること。
第九の徳は、神通が現われ、天眼に通じること。
第十の徳は、神通が現われ、漏尽に通じること。」

「こうして、仏陀により、説き明かされた、
十の徳性を具えた者を、我々は尊敬している。
今も我々は、倣うべきに習い、尊ぶべきを貴ぶ。」

 

第三章

すると、ヴァッサカーラは、このように尋ねた。

「生前、仏陀は、どのように説かれたのか。
排除されるべき禅定は、如何なる禅定なのか。
称賛されるべき禅定とは、如何なる禅定なのか。」

「婆羅門よ、仏陀により、説き明かされた、
比丘が、排除すべきである、五つの禅がある。
それでは、この五つの禅とは、如何なるものか。

第一の禅は、貪りに囚われている、禅定である。
第二の禅は、瞋りに囚われている、禅定である。
第三の禅は、眠りに囚われている、禅定である。
第四の禅は、焦りに囚われている、禅定である。
第五の禅は、疑いに囚われている、禅定である。」

「婆羅門よ、仏陀により、説き明かされた、
比丘が、称賛すべきである、四つの禅がある。
それでは、この四つの禅とは、如何なるものか。

第一の禅は、有尋有伺である、第一禅定である。
第二の禅は、無尋無伺である、第二禅定である。
第三の禅は、正念楽住である、第三禅定である。
第四の禅は、捨念清浄である、第四禅定である。」

納得し得た、ヴァッサカーラは、帰って行った。


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