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双考経(ドヴェーダーヴィタッカ・スッタ)

仏教



目次

第一章 |  第二章

 

第一章

あるとき、わたしは、このように聞いた。

ある日のこと、仏陀は、サーヴァッティの、
ジェータ林にある、アナータピンディカ園で、
集まって来た、比丘衆に、このように説かれた。

「比丘達よ、私が、まだ、菩薩であった時、
煩悩を明らめる思いと、煩悩を諦らめる想い、
出離の有無に分けて、自らの心を見つめ続けた。」

『今、私の心に、貪欲の思いが生じている。
この思いは、自らを煩わせ、周りを悩ませる。
いまこそ、この煩悩を越えて、菩提を求めよう。』

『今、私の心に、瞋恚の思いが生じている。
この思いは、自らを煩わせ、周りを悩ませる。
いまこそ、この煩悩を越えて、菩提を求めよう。』

『今、私の心に、愚痴の思いが生じている。
この思いは、自らを煩わせ、周りを悩ませる。
いまこそ、この煩悩を越えて、菩提を求めよう。』

『今、私の心に、離欲の想いが生じている。
この想いは、自らを超えて、他を越えていく。
いまこそ、この菩提を求めて、煩悩を越えよう。』

『今、私の心に、慈愛の想いが生じている。
この想いは、自らを慈しみ、他を愛していく。
いまこそ、この菩提を求めて、煩悩を越えよう。』

『今、私の心に、悲哀の想いが生じている。
この想いは、自らを悲しみ、他を哀していく。
いまこそ、この菩提を求めて、煩悩を越えよう。』

 

第二章

「比丘達よ、考える方に、心は動いていく。
どんな思いも、逆の想いで、止まってしまう。
それでは、この四つの禅とは、如何なるものか。」

「比丘達よ、第一の禅は、有尋有伺にして、
欲を捨てて生じる、慈に満たされる禅である。
そのとき、彼は、慈愛を以って、瞋恚を越える。」

「比丘達よ、第二の禅は、無尋無伺にして、
想を捨てて生じる、悲に満たされる禅である。
そのとき、彼は、悲哀を以って、愚痴を越える。」

「比丘達よ、第三の禅は、正念楽住にして、
喜を捨てて生じる、楽に満たされる禅である。
そのとき、彼は、称賛を以って、嫉妬を越える。」

「比丘達よ、第四の禅は、不苦不楽にして、
楽を捨てて生じる、捨に満たされる禅である。
そのとき、彼は、出離を持って、貪欲を越える。」

「比丘達よ、これらが、菩薩の色界である。
色界を越えて、無色界に入ると、菩提を得る。
それでは、この三つの智とは、如何なるものか。」

「第一に、過去の智である、宿命通である。
菩薩は、一、十、百、千の過去世を思い出し、
如何なる業が、如何なる命を宿すか、証知する。」

「第二に、未来の智である、天眼通である。
菩薩は、一、十、百、千の未来世を透し見て、
如何なる業が、如何なる生を課すか、証知する。」

「第三に、現在の智である、漏尽通である。
菩薩は、一、十、百、千の漏煩悩を見て取り、
如何なる業が、如何なる漏を生むか、証知する。」

「比丘達よ、これらが、菩薩の菩提である。
無色界を越えて、涅槃に入ると、解脱を得る。
それでは、この三つの離とは、如何なるものか。」

「第一に、欲界の漏れ、欲漏の解脱である。
欲望を捕えるものは、欲界に捕われてしまい、
欲望を捉らえるものは、欲界に囚われなくなる。」

「第二に、色界の漏れ、有漏の解脱である。
生存を捕えるものは、色界に捕われてしまい、
生存を捉らえるものは、色界に囚われなくなる。」

「第三に、無色の漏れ、無漏の解脱である。
無明を捕えるものは、無色に捕われてしまい、
無明を捉らえるものは、無色に囚われなくなる。」

「仏陀が、煩悩を越える、菩提を説くとき、
悪魔が、煩悩に塗れる、煩悩を解いてしまう。
光が強くなると、闇も深くなると、知りなさい。」

「比丘達よ、何が正しくて、何が邪なのか、
正しい教えを以って、正しい道を歩みなさい。
悪魔が解く、邪なる道に、近づいてはならない。」

これを聞いた、諸々の比丘は、歓喜し実践した。


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