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十上経(ダスッタラ・スッタンタ)

仏教



目次

第一章 |  第二章 |  第三章 |  第四章 |  第五章

 

第一章

あるとき、わたしは、このように聞いた。

ある日のこと、仏陀は、五百人の比丘衆と、
アンガ国にある、チャンパーに止まっていた。
仏陀に代わり、サーリプッタが法を説き始めた。

「比丘達よ、仏陀が説く、偉大な法がある。
それは、一つで一組になる、真実の法である。
それでは、この一つの法とは、如何なるものか。

一、比丘は、善行の実践を、蓄積すべきである。
二、比丘は、身体の観察を、修習すべきである。
三、比丘は、煩悩の漏泄を、熟知すべきである。
四、比丘は、自我の意識を、捨断すべきである。
五、無理の思索は、破滅に導かれる原因となる。
六、合理の思索は、繁栄に導かれる原因となる。
七、比丘は、事後の集中を、洞察すべきである。
八、比丘は、不動の智慧を、獲得すべきである。
九、比丘は、食事の存在を、証知すべきである。
十、比丘は、不動の解脱を、体現すべきである。」

「比丘達よ、仏陀が説く、偉大な法がある。
それは、二つで一組になる、真実の法である。
それでは、この二つの法とは、如何なるものか。

一、比丘は、正念の実践を、蓄積すべきである。
  比丘は、正知の実践を、蓄積すべきである。
二、比丘は、寂止の実践を、修習すべきである。
  比丘は、正観の実践を、修習すべきである。
三、比丘は、物質的な色を、熟知すべきである。
  比丘は、精神的な名を、熟知すべきである。
四、比丘は、無明の渇愛を、捨断すべきである。
  比丘は、生存の渇愛を、捨断すべきである。
五、邪なる言葉は、破滅に導かれる原因となる。
  邪なる友人は、破滅に導かれる原因となる。
六、正しい言葉は、繁栄に導かれる原因となる。
  正しい友人は、繁栄に導かれる原因となる。
七、比丘は、汚濁の因縁を、洞察すべきである。
  比丘は、清浄の因縁を、洞察すべきである。
八、比丘は、滅尽の智慧を、獲得すべきである。
  比丘は、制御の智慧を、獲得すべきである。
九、比丘は、有為の領域を、証知すべきである。
  比丘は、無為の領域を、証知すべきである。
十、比丘は、明知の境地を、体現すべきである。
  比丘は、解脱の境地を、体現すべきである。」

 

第二章

「比丘達よ、仏陀が説く、偉大な法がある。
それは、三つで一組になる、真実の法である。
それでは、この三つの法とは、如何なるものか。

一、比丘は、三宝の帰依を、蓄積すべきである。
  比丘は、正法の教学を、蓄積すべきである。
  比丘は、法則の実践を、蓄積すべきである。
二、比丘は、有尋有伺定を、修習すべきである。
  比丘は、無尋有伺定を、修習すべきである。
  比丘は、無尋無伺定を、修習すべきである。
三、比丘は、楽しいことを、熟知すべきである。
  比丘は、苦しいことを、熟知すべきである。
  比丘は、非苦で非楽を、熟知すべきである。
四、比丘は、欲望の渇愛を、捨断すべきである。
  比丘は、生存の渇愛を、捨断すべきである。
  比丘は、消滅の渇愛を、捨断すべきである。
五、貪欲の悪業は、破滅に導かれる原因となる。
  瞋恚の悪業は、破滅に導かれる原因となる。
  愚痴の悪業は、破滅に導かれる原因となる。
六、貪欲の善業は、繁栄に導かれる原因となる。
  瞋恚の善業は、繁栄に導かれる原因となる。
  愚痴の善業は、繁栄に導かれる原因となる。
七、比丘は、欲界の出離を、洞察すべきである。
  比丘は、色界の出離を、洞察すべきである。
  比丘は、無色の出離を、洞察すべきである。
八、比丘は、過去の智慧を、獲得すべきである。
  比丘は、現在の智慧を、獲得すべきである。
  比丘は、未来の智慧を、獲得すべきである。
九、比丘は、欲界の存在を、証知すべきである。
  比丘は、色界の存在を、証知すべきである。
  比丘は、無色の存在を、証知すべきである。
十、比丘は、宿命の神通を、体現すべきである。
  比丘は、天眼の神通を、体現すべきである。
  比丘は、漏尽の神通を、体現すべきである。」

「比丘達よ、仏陀が説く、偉大な法がある。
それは、四つで一組になる、真実の法である。
それでは、この四つの法とは、如何なるものか。

一、比丘は、適切な住居を、蓄積すべきである。
  比丘は、善友の交際を、蓄積すべきである。
  比丘は、正当な発願を、蓄積すべきである。
  比丘は、善業の蓄積を、蓄積すべきである。
二、比丘は、身体の観察を、修習すべきである。
  比丘は、感覚の観察を、修習すべきである。
  比丘は、意識の観察を、修習すべきである。
  比丘は、観念の観察を、修習すべきである。
三、比丘は、物質の食事を、熟知すべきである。
  比丘は、接触の食事を、熟知すべきである。
  比丘は、意欲の食事を、熟知すべきである。
  比丘は、意識の食事を、熟知すべきである。
四、比丘は、欲望の洪水を、捨断すべきである。
  比丘は、生存の洪水を、捨断すべきである。
  比丘は、見解の洪水を、捨断すべきである。
  比丘は、無知の洪水を、捨断すべきである。
五、欲望の束縛は、破滅に導かれる原因となる。
  生存の束縛は、破滅に導かれる原因となる。
  見解の束縛は、破滅に導かれる原因となる。
  無知の束縛を、破滅に導かれる原因となる。
六、欲望の解放は、繁栄に導かれる原因となる。
  生存の解放は、繁栄に導かれる原因となる。
  見解の解放は、繁栄に導かれる原因となる。
  無知の解放を、繁栄に導かれる原因となる。
七、比丘は、破滅の禅定を、洞察すべきである。
  比丘は、維持の禅定を、洞察すべきである。
  比丘は、繁栄の禅定を、洞察すべきである。
  比丘は、涅槃の禅定を、洞察すべきである。
八、比丘は、真理の智慧を、獲得すべきである。
  比丘は、敷衍の智慧を、獲得すべきである。
  比丘は、他心の智慧を、獲得すべきである。
  比丘は、世間の智慧を、獲得すべきである。
九、比丘は、苦諦の真理を、証知すべきである。
  比丘は、集諦の真理を、証知すべきである。
  比丘は、滅諦の真理を、証知すべきである。
  比丘は、道諦の真理を、証知すべきである。
十、比丘は、預流の果報を、体現すべきである。
  比丘は、一来の果報を、体現すべきである。
  比丘は、不還の果報を、体現すべきである。
  比丘は、羅漢の果報を、体現すべきである。」

 

第三章

「比丘達よ、仏陀が説く、偉大な法がある。
それは、五つで一組になる、真実の法である。
それでは、この五つの法とは、如何なるものか。

一、比丘は、信心の精進を、蓄積すべきである。
  比丘は、健康の精進を、蓄積すべきである。
  比丘は、誠実の精進を、蓄積すべきである。
  比丘は、善行の精進を、蓄積すべきである。
  比丘は、智慧の精進を、蓄積すべきである。
二、比丘は、喜悦の禅定を、修習すべきである。
  比丘は、大楽の禅定を、修習すべきである。
  比丘は、専心の禅定を、修習すべきである。
  比丘は、光明の禅定を、修習すべきである。
  比丘は、観察の禅定を、修習すべきである。
三、比丘は、色蘊に関して、熟知すべきである。
  比丘は、受蘊に関して、熟知すべきである。
  比丘は、想蘊に関して、熟知すべきである。
  比丘は、行蘊に関して、熟知すべきである。
  比丘は、識蘊に関して、熟知すべきである。
四、比丘は、貪欲の障害を、捨断すべきである。
  比丘は、瞋恚の障害を、捨断すべきである。
  比丘は、昏眠の障害を、捨断すべきである。
  比丘は、掉悔の障害を、捨断すべきである。
  比丘は、愚痴の障害を、捨断すべきである。
五、仏陀の不信は、破滅に導かれる原因となる。
  法則の不信は、破滅に導かれる原因となる。
  僧伽の不信は、破滅に導かれる原因となる。
  修学の不信は、破滅に導かれる原因となる。
  法友の不信は、破滅に導かれる原因となる。
六、帰依の機根は、繁栄に導かれる原因となる。
  精進の機根は、繁栄に導かれる原因となる。
  集中の機根は、繁栄に導かれる原因となる。
  禅定の機根は、繁栄に導かれる原因となる。
  智慧の機根は、繁栄に導かれる原因となる。
七、比丘は、欲望の解脱を、洞察すべきである。
  比丘は、瞋恚の解脱を、洞察すべきである。
  比丘は、暴力の解脱を、洞察すべきである。
  比丘は、物質の解脱を、洞察すべきである。
  比丘は、身体の解脱を、洞察すべきである。
八、比丘は、大楽の禅定を、獲得すべきである。
  比丘は、貴重な禅定を、獲得すべきである。
  比丘は、善良な禅定を、獲得すべきである。
  比丘は、平静な禅定を、獲得すべきである。
  比丘は、集中の禅定を、獲得すべきである。
九、仏陀が法を説く機会を、証知すべきである。
  高弟が法を説く機会を、証知すべきである。
  経典の法を聞く機会を、証知すべきである。
  経典の法を読む機会を、証知すべきである。
  経典の法を解す機会を、証知すべきである。
十、比丘は、戒律の体系を、体現すべきである。
  比丘は、禅定の体系を、体現すべきである。
  比丘は、智慧の体系を、体現すべきである。
  比丘は、解脱の体系を、体現すべきである。
  比丘は、解脱知見蘊を、体現すべきである。」

「比丘達よ、仏陀が説く、偉大な法がある。
それは、六つで一組になる、真実の法である。
それでは、この六つの法とは、如何なるものか。

一、比丘は、慈愛の行為を、蓄積すべきである。
  比丘は、慈愛の発言を、蓄積すべきである。
  比丘は、慈愛の思念を、蓄積すべきである。
  比丘は、公平な分配を、蓄積すべきである。
  比丘は、戒律の遵守を、蓄積すべきである。
  比丘は、真理の和合を、蓄積すべきである。
二、比丘は、仏陀の顧念を、修習すべきである。
  比丘は、法則の顧念を、修習すべきである。
  比丘は、僧伽の顧念を、修習すべきである。
  比丘は、戒律の顧念を、修習すべきである。
  比丘は、布施の顧念を、修習すべきである。
  比丘は、天命の顧念を、修習すべきである。
三、比丘は、眼識に関して、熟知すべきである。
  比丘は、耳識に関して、熟知すべきである。
  比丘は、鼻識に関して、熟知すべきである。
  比丘は、舌識に関して、熟知すべきである。
  比丘は、身識に関して、熟知すべきである。
  比丘は、意識に関して、熟知すべきである。
四、比丘は、色境の愛著を、捨断すべきである。
  比丘は、声境の愛著を、捨断すべきである。
  比丘は、香境の愛著を、捨断すべきである。
  比丘は、味境の愛著を、捨断すべきである。
  比丘は、触境の愛著を、捨断すべきである。
  比丘は、法境の愛著を、捨断すべきである。
五、仏陀の不敬は、破滅に導かれる原因となる。
  法則の不敬は、破滅に導かれる原因となる。
  僧伽の不敬は、破滅に導かれる原因となる。
  修学の不敬は、破滅に導かれる原因となる。
  精進の不敬は、破滅に導かれる原因となる。
  礼儀の不敬は、破滅に導かれる原因となる。
六、仏陀の尊敬は、繁栄に導かれる原因となる。
  法則の尊敬は、繁栄に導かれる原因となる。
  僧伽の尊敬は、繁栄に導かれる原因となる。
  修学の尊敬は、繁栄に導かれる原因となる。
  精進の尊敬は、繁栄に導かれる原因となる。
  礼儀の尊敬は、繁栄に導かれる原因となる。
七、比丘は、慈の無量心を、洞察すべきである。
  比丘は、悲の無量心を、洞察すべきである。
  比丘は、喜の無量心を、洞察すべきである。
  比丘は、捨の無量心を、洞察すべきである。
  比丘は、煩悩の出離を、洞察すべきである。
  比丘は、自我の捨断を、洞察すべきである。
八、比丘は、眼識の常住を、獲得すべきである。
  比丘は、耳識の常住を、獲得すべきである。
  比丘は、鼻識の常住を、獲得すべきである。
  比丘は、舌識の常住を、獲得すべきである。
  比丘は、身識の常住を、獲得すべきである。
  比丘は、意識の常住を、獲得すべきである。
九、比丘は、無上の視覚を、証知すべきである。
  比丘は、無上の聴覚を、証知すべきである。
  比丘は、無上の利益を、証知すべきである。
  比丘は、無上の修学を、証知すべきである。
  比丘は、無上の奉仕を、証知すべきである。
  比丘は、無上の顧念を、証知すべきである。
十、比丘は、神足の神通を、体現すべきである。
  比丘は、天耳の神通を、体現すべきである。
  比丘は、他心の神通を、体現すべきである。
  比丘は、宿命の神通を、体現すべきである。
  比丘は、天眼の神通を、体現すべきである。
  比丘は、漏尽の神通を、体現すべきである。」

 

第四章

「比丘達よ、仏陀が説く、偉大な法がある。
それは、七つで一組になる、真実の法である。
それでは、この七つの法とは、如何なるものか。

一、比丘は、信心の実践を、蓄積すべきである。
  比丘は、戒律の実践を、蓄積すべきである。
  比丘は、慙という念を、蓄積すべきである。
  比丘は、愧という念を、蓄積すべきである。
  比丘は、修学の実践を、蓄積すべきである。
  比丘は、布施の実践を、蓄積すべきである。
  比丘は、智慧の実践を、蓄積すべきである。
二、比丘は、集中の覚支を、修習すべきである。
  比丘は、択法の覚支を、修習すべきである。
  比丘は、精進の覚支を、修習すべきである。
  比丘は、喜悦の覚支を、修習すべきである。
  比丘は、軽安の覚支を、修習すべきである。
  比丘は、禅定の覚支を、修習すべきである。
  比丘は、中庸の覚支を、修習すべきである。
三、比丘は、人間界の意を、熟知すべきである。
  比丘は、梵衆天の意を、熟知すべきである。
  比丘は、光音天の意を、熟知すべきである。
  比丘は、遍浄天の意を、熟知すべきである。
  比丘は、空無辺の処を、熟知すべきである。
  比丘は、識無辺の処を、熟知すべきである。
  比丘は、無所有の処を、熟知すべきである。
四、比丘は、貪欲の煩悩を、捨断すべきである。
  比丘は、瞋恚の煩悩を、捨断すべきである。
  比丘は、愚痴の煩悩を、捨断すべきである。
  比丘は、疑念の煩悩を、捨断すべきである。
  比丘は、慢心の煩悩を、捨断すべきである。
  比丘は、生存の煩悩を、捨断すべきである。
  比丘は、無知の煩悩を、捨断すべきである。
五、疑念があると、破滅に導かれる原因となる。
  他に恥じぬと、破滅に導かれる原因となる。
  己に恥じぬと、破滅に導かれる原因となる。
  多学でないと、破滅に導かれる原因となる。
  怠惰であると、破滅に導かれる原因となる。
  放逸であると、破滅に導かれる原因となる。
  無智であると、破滅に導かれる原因となる。
六、疑念がないと、繁栄に導かれる原因となる。
  他に恥じると、繁栄に導かれる原因となる。
  己に恥じると、繁栄に導かれる原因となる。
  多学であると、繁栄に導かれる原因となる。
  怠惰でないと、繁栄に導かれる原因となる。
  放逸でないと、繁栄に導かれる原因となる。
  無智でないと、繁栄に導かれる原因となる。
七、比丘は、法則の知者を、洞察すべきである。
  比丘は、意味の知者を、洞察すべきである。
  比丘は、自己の知者を、洞察すべきである。
  比丘は、適量の知者を、洞察すべきである。
  比丘は、適時の知者を、洞察すべきである。
  比丘は、集団の知者を、洞察すべきである。
  比丘は、個々の知者を、洞察すべきである。
八、比丘は、無常の認知を、獲得すべきである。
  比丘は、無我の認知を、獲得すべきである。
  比丘は、不浄の認知を、獲得すべきである。
  比丘は、禍患の認知を、獲得すべきである。
  比丘は、捨棄の認知を、獲得すべきである。
  比丘は、離貪の認知を、獲得すべきである。
  比丘は、消滅の認知を、獲得すべきである。
九、比丘は、修学の完成を、証知すべきである。
  比丘は、法則の完成を、証知すべきである。
  比丘は、欲望の制御を、証知すべきである。
  比丘は、世間の厭離を、証知すべきである。
  比丘は、不断の精進を、証知すべきである。
  比丘は、正念の正知を、証知すべきである。
  比丘は、正見の考察を、証知すべきである。
十、比丘は、四念処の科を、体現すべきである。
  比丘は、四正断の科を、体現すべきである。
  比丘は、五根なる科を、体現すべきである。
  比丘は、五力なる科を、体現すべきである。
  比丘は、七覚支の科を、体現すべきである。
  比丘は、八正道の科を、体現すべきである。
  比丘は、四神足の科を、体現すべきである。」

「比丘達よ、仏陀が説く、偉大な法がある。
それは、八つで一組になる、真実の法である。
それでは、この八つの法とは、如何なるものか。

一、比丘は、懺悔の実践を、蓄積すべきである。
  比丘は、質問の実践を、蓄積すべきである。
  比丘は、寂静の実践を、蓄積すべきである。
  比丘は、持戒の実践を、蓄積すべきである。
  比丘は、多学の実践を、蓄積すべきである。
  比丘は、勧善と懲悪を、蓄積すべきである。
  比丘は、記憶と実践を、蓄積すべきである。
  比丘は、五蘊の観察を、蓄積すべきである。
二、比丘は、正しい見解を、修習すべきである。
  比丘は、正しい思惟を、修習すべきである。
  比丘は、正しい言葉を、修習すべきである。
  比丘は、正しい行為を、修習すべきである。
  比丘は、正しい生活を、修習すべきである。
  比丘は、正しい精進を、修習すべきである。
  比丘は、正しい集中を、修習すべきである。
  比丘は、正しい瞑想を、修習すべきである。
三、比丘は、世間の利益を、熟知すべきである。
  比丘は、世間の害悪を、熟知すべきである。
  比丘は、世間の名声を、熟知すべきである。
  比丘は、世間の悪声を、熟知すべきである。
  比丘は、世間の賞賛を、熟知すべきである。
  比丘は、世間の誹謗を、熟知すべきである。
  比丘は、世間の幸福を、熟知すべきである。
  比丘は、世間の不幸を、熟知すべきである。
四、比丘は、邪なる見解を、捨断すべきである。
  比丘は、邪なる思惟を、捨断すべきである。
  比丘は、邪なる言葉を、捨断すべきである。
  比丘は、邪なる行為を、捨断すべきである。
  比丘は、邪なる生活を、捨断すべきである。
  比丘は、邪なる精進を、捨断すべきである。
  比丘は、邪なる集中を、捨断すべきである。
  比丘は、邪なる瞑想を、捨断すべきである。
五、開始前の怠惰は、破滅に導かれる因となる。
  開始後の怠惰は、破滅に導かれる因となる。
  達成前の怠惰は、破滅に導かれる因となる。
  達成後の怠惰は、破滅に導かれる因となる。
  食事前の怠惰は、破滅に導かれる因となる。
  食事後の怠惰は、破滅に導かれる因となる。
  病気時の怠惰は、破滅に導かれる因となる。
  回復時の怠惰は、破滅に導かれる因となる。
六、開始前の精勤は、繁栄に導かれる因となる。
  開始後の精勤は、繁栄に導かれる因となる。
  達成前の精勤は、繁栄に導かれる因となる。
  達成後の精勤は、繁栄に導かれる因となる。
  食事前の精勤は、繁栄に導かれる因となる。
  食事後の精勤は、繁栄に導かれる因となる。
  病気時の精勤は、繁栄に導かれる因となる。
  回復時の精勤は、繁栄に導かれる因となる。
七、地獄で悟れない禍患を、洞察すべきである。
  畜生が悟れない禍患を、洞察すべきである。
  餓鬼が悟れない禍患を、洞察すべきである。
  天人が悟れない禍患を、洞察すべきである。
  未開で悟れない禍患を、洞察すべきである。
  外道が悟れない禍患を、洞察すべきである。
  愚者が悟れない禍患を、洞察すべきである。
  如来が生れない禍患を、洞察すべきである。
八、比丘は、無欲の法則を、獲得すべきである。
  比丘は、知足の法則を、獲得すべきである。
  比丘は、厭離の法則を、獲得すべきである。
  比丘は、精進の法則を、獲得すべきである。
  比丘は、明瞭の法則を、獲得すべきである。
  比丘は、集中の法則を、獲得すべきである。
  比丘は、智慧の法則を、獲得すべきである。
  比丘は、誠実の法則を、獲得すべきである。
九、比丘は、第一の勝処を、証知すべきである。
  比丘は、第二の勝処を、証知すべきである。
  比丘は、第三の勝処を、証知すべきである。
  比丘は、第四の勝処を、証知すべきである。
  比丘は、第五の勝処を、証知すべきである。
  比丘は、第六の勝処を、証知すべきである。
  比丘は、第七の勝処を、証知すべきである。
  比丘は、第八の勝処を、証知すべきである。
十、比丘は、第一の解脱を、体現すべきである。
  比丘は、第二の解脱を、体現すべきである。
  比丘は、第三の解脱を、体現すべきである。
  比丘は、第四の解脱を、体現すべきである。
  比丘は、第五の解脱を、体現すべきである。
  比丘は、第六の解脱を、体現すべきである。
  比丘は、第七の解脱を、体現すべきである。
  比丘は、第八の解脱を、体現すべきである。」

 

第五章

「比丘達よ、仏陀が説く、偉大な法がある。
それは、九つで一組になる、真実の法である。
それでは、この九つの法とは、如何なるものか。

一、比丘は、合理の納得を、蓄積すべきである。
  比丘は、納得の喜悦を、蓄積すべきである。
  比丘は、喜悦の軽快を、蓄積すべきである。
  比丘は、軽快の安楽を、蓄積すべきである。
  比丘は、安楽の集中を、蓄積すべきである。
  比丘は、集中の智慧を、蓄積すべきである。
  比丘は、智慧の厭離を、蓄積すべきである。
  比丘は、厭離の出離を、蓄積すべきである。
  比丘は、出離の解脱を、蓄積すべきである。
二、比丘は、戒律の清浄を、修習すべきである。
  比丘は、意識の清浄を、修習すべきである。
  比丘は、見解の清浄を、修習すべきである。
  比丘は、信心の清浄を、修習すべきである。
  比丘は、分別の清浄を、修習すべきである。
  比丘は、実践の清浄を、修習すべきである。
  比丘は、判断の清浄を、修習すべきである。
  比丘は、智慧の清浄を、修習すべきである。
  比丘は、解脱の清浄を、修習すべきである。
三、比丘は、人間界の意を、熟知すべきである。
  比丘は、梵天界の意を、熟知すべきである。
  比丘は、光音天の意を、熟知すべきである。
  比丘は、遍浄天の意を、熟知すべきである。
  比丘は、空無辺の処を、熟知すべきである。
  比丘は、識無辺の処を、熟知すべきである。
  比丘は、無所有の処を、熟知すべきである。
  比丘は、無情有情処を、熟知すべきである。
  比丘は、非想非非想を、熟知すべきである。
四、比丘は、渇愛の欲求を、捨断すべきである。
  比丘は、欲求の獲得を、捨断すべきである。
  比丘は、獲得の決定を、捨断すべきである。
  比丘は、決定の欲望を、捨断すべきである。
  比丘は、欲望の熱望を、捨断すべきである。
  比丘は、熱望の固執を、捨断すべきである。
  比丘は、固執の慳貪を、捨断すべきである。
  比丘は、慳貪の防衛を、捨断すべきである。
  比丘は、防衛の闘争を、捨断すべきである。
五、過去の損害に怒ることは、破滅の因である。
  現在の損害に怒ることは、破滅の因である。
  未来の損害に怒ることは、破滅の因である。
  過去の減善に怒ることは、破滅の因である。
  現在の減善に怒ることは、破滅の因である。
  未来の減善に怒ることは、破滅の因である。
  過去の増悪に怒ることは、破滅の因である。
  現在の増悪に怒ることは、破滅の因である。
  未来の増悪に怒ることは、破滅の因である。
六、過去の損害を許すことは、繁栄の因である。
  現在の損害を許すことは、繁栄の因である。
  未来の損害を許すことは、繁栄の因である。
  過去の減善を許すことは、繁栄の因である。
  現在の減善を許すことは、繁栄の因である。
  未来の減善を許すことは、繁栄の因である。
  過去の増悪を許すことは、繁栄の因である。
  現在の増悪を許すことは、繁栄の因である。
  未来の増悪を許すことは、繁栄の因である。
七、比丘は、要素の原因を、洞察すべきである。
  比丘は、感触の原因を、洞察すべきである。
  比丘は、感受の原因を、洞察すべきである。
  比丘は、表象の原因を、洞察すべきである。
  比丘は、思考の原因を、洞察すべきである。
  比丘は、意欲の原因を、洞察すべきである。
  比丘は、苦悩の原因を、洞察すべきである。
  比丘は、希求の原因を、洞察すべきである。
  比丘は、獲得の原因を、洞察すべきである。
八、比丘は、不浄の想念を、獲得すべきである。
  比丘は、死滅の想念を、獲得すべきである。
  比丘は、少食の想念を、獲得すべきである。
  比丘は、不楽の想念を、獲得すべきである。
  比丘は、無常の想念を、獲得すべきである。
  比丘は、皆苦の想念を、獲得すべきである。
  比丘は、皆空の想念を、獲得すべきである。
  比丘は、出離の想念を、獲得すべきである。
  比丘は、離欲の想念を、獲得すべきである。
九、比丘は、離欲の得楽を、証知すべきである。
  比丘は、離楽の得喜を、証知すべきである。
  比丘は、離喜の得静を、証知すべきである。
  比丘は、離静の入空を、証知すべきである。
  比丘は、空無辺の定を、証知すべきである。
  比丘は、識無辺の定を、証知すべきである。
  比丘は、無所有の定を、証知すべきである。
  比丘は、非非想の定を、証知すべきである。
  比丘は、想受滅の定を、証知すべきである。
十、比丘は、第一の禅定を、体現すべきである。
  比丘は、第二の禅定を、体現すべきである。
  比丘は、第三の禅定を、体現すべきである。
  比丘は、第四の禅定を、体現すべきである。
  比丘は、第五の禅定を、体現すべきである。
  比丘は、第六の禅定を、体現すべきである。
  比丘は、第七の禅定を、体現すべきである。
  比丘は、第八の禅定を、体現すべきである。
  比丘は、第九の禅定を、体現すべきである。」

「比丘達よ、仏陀が説く、偉大な法がある。
それは、十つで一組になる、真実の法である。
それでは、この十つの法とは、如何なるものか。

一、比丘は、戒律の保護を、蓄積すべきである。
  比丘は、教義の保護を、蓄積すべきである。
  比丘は、法友の保護を、蓄積すべきである。
  比丘は、忍耐の保護を、蓄積すべきである。
  比丘は、奉仕の保護を、蓄積すべきである。
  比丘は、求道の保護を、蓄積すべきである。
  比丘は、知足の保護を、蓄積すべきである。
  比丘は、精進の保護を、蓄積すべきである。
  比丘は、集中の保護を、蓄積すべきである。
  比丘は、智慧の保護を、蓄積すべきである。
二、比丘は、地遍の瞑想を、修習すべきである。
  比丘は、水遍の瞑想を、修習すべきである。
  比丘は、火遍の瞑想を、修習すべきである。
  比丘は、風遍の瞑想を、修習すべきである。
  比丘は、青遍の瞑想を、修習すべきである。
  比丘は、黄遍の瞑想を、修習すべきである。
  比丘は、赤遍の瞑想を、修習すべきである。
  比丘は、白遍の瞑想を、修習すべきである。
  比丘は、空遍の瞑想を、修習すべきである。
  比丘は、識遍の瞑想を、修習すべきである。
三、比丘は、眼根の領域を、熟知すべきである。
  比丘は、耳根の領域を、熟知すべきである。
  比丘は、鼻根の領域を、熟知すべきである。
  比丘は、舌根の領域を、熟知すべきである。
  比丘は、身根の領域を、熟知すべきである。
  比丘は、色境の領域を、熟知すべきである。
  比丘は、声境の領域を、熟知すべきである。
  比丘は、香境の領域を、熟知すべきである。
  比丘は、味境の領域を、熟知すべきである。
  比丘は、触境の領域を、熟知すべきである。
四、比丘は、邪なる見解を、捨断すべきである。
  比丘は、邪なる思惟を、捨断すべきである。
  比丘は、邪なる言葉を、捨断すべきである。
  比丘は、邪なる行為を、捨断すべきである。
  比丘は、邪なる生活を、捨断すべきである。
  比丘は、邪なる努力を、捨断すべきである。
  比丘は、邪なる集中を、捨断すべきである。
  比丘は、邪なる瞑想を、捨断すべきである。
  比丘は、邪なる智慧を、捨断すべきである。
  比丘は、邪なる解脱を、捨断すべきである。
五、不殺生を破ると、破滅に導かれる因となる。
  不偸盗を破ると、破滅に導かれる因となる。
  不邪淫を破ると、破滅に導かれる因となる。
  不妄語を破ると、破滅に導かれる因となる。
  不綺語を破ると、破滅に導かれる因となる。
  不悪口を破ると、破滅に導かれる因となる。
  不両舌を破ると、破滅に導かれる因となる。
  不慳貪を破ると、破滅に導かれる因となる。
  不瞋恚を破ると、破滅に導かれる因となる。
  不邪見を破ると、破滅に導かれる因となる。
六、不殺生を守ると、繁栄に導かれる因となる。
  不偸盗を守ると、繁栄に導かれる因となる。
  不邪淫を守ると、繁栄に導かれる因となる。
  不妄語を守ると、繁栄に導かれる因となる。
  不綺語を守ると、繁栄に導かれる因となる。
  不悪口を守ると、繁栄に導かれる因となる。
  不両舌を守ると、繁栄に導かれる因となる。
  不慳貪を守ると、繁栄に導かれる因となる。
  不瞋恚を守ると、繁栄に導かれる因となる。
  不邪見を守ると、繁栄に導かれる因となる。
七、比丘は、五蓋の捨断を、洞察すべきである。
  比丘は、六根の保護を、洞察すべきである。
  比丘は、三業の集中を、洞察すべきである。
  比丘は、四処の依拠を、洞察すべきである。
  比丘は、外道の厭離を、洞察すべきである。
  比丘は、願望の捨棄を、洞察すべきである。
  比丘は、思惟の清浄を、洞察すべきである。
  比丘は、四禅の具足を、洞察すべきである。
  比丘は、渇愛の解脱を、洞察すべきである。
  比丘は、無明の解脱を、洞察すべきである。
八、比丘は、不浄の想念を、獲得すべきである。
  比丘は、死滅の想念を、獲得すべきである。
  比丘は、少食の想念を、獲得すべきである。
  比丘は、不楽の想念を、獲得すべきである。
  比丘は、無常の想念を、獲得すべきである。
  比丘は、皆苦の想念を、獲得すべきである。
  比丘は、皆空の想念を、獲得すべきである。
  比丘は、出離の想念を、獲得すべきである。
  比丘は、離欲の想念を、獲得すべきである。
  比丘は、消滅の想念を、獲得すべきである。
九、比丘は、正しい見解を、証知すべきである。
  比丘は、正しい思惟を、証知すべきである。
  比丘は、正しい言葉を、証知すべきである。
  比丘は、正しい行為を、証知すべきである。
  比丘は、正しい生活を、証知すべきである。
  比丘は、正しい精進を、証知すべきである。
  比丘は、正しい集中を、証知すべきである。
  比丘は、正しい瞑想を、証知すべきである。
  比丘は、正しい智慧を、証知すべきである。
  比丘は、正しい解脱を、証知すべきである。
十、比丘は、羅漢の見解を、体現すべきである。
  比丘は、羅漢の思惟を、体現すべきである。
  比丘は、羅漢の言葉を、体現すべきである。
  比丘は、羅漢の行為を、体現すべきである。
  比丘は、羅漢の生活を、体現すべきである。
  比丘は、羅漢の精進を、体現すべきである。
  比丘は、羅漢の集中を、体現すべきである。
  比丘は、羅漢の瞑想を、体現すべきである。
  比丘は、羅漢の智慧を、体現すべきである。
  比丘は、羅漢の解脱を、体現すべきである。」

これを聞いた、諸々の比丘は、歓喜し実践した。


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