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調御地経(ダンタブーミ・スッタ)

仏教

しつけられた者がいたる段階



目次

第一章 |  第二章 |  第三章

 

第一章

あるとき、わたしは、このように聞いた。

ある日のこと、仏陀は、ラージャグリハの、
カランダカニヴァーパに、止まっておられた。
そこに、アチラヴァタが訪れると、こう言った。

「尊師よ、今朝、ジャヤセーナ王子に会い、
私は、離欲による、正しい念を説きましたが、
彼には、理解できず、憤慨し帰って行きました。」

「アチラヴァタよ、それは、当然であろう。
欲に溺れる者が、欲を越えられる分けがない。
欲を越えない者が、正しく観とめる分けがない。」

「あたかも、調えられた馬には、乗れても、
調えていない馬には、乗れないようなものだ。
良く調えた物と、良く調えてない物は、異なる。」

「あたかも、山に頂きに登れば、見えても、
山の麓に止まるなら、見えないようだものだ。
上から見える物と、下から見える物は、異なる。」

「ひたすら、欲を離れて、見とめるものを、
どうして、欲に塗れた者が、認められようか。
アチラヴァタよ、汝は、これを説くべきだった。」

 

第二章

「たとえば、野性の象を、調教するときは、
なにより、森の中から、象を出す必要がある。
激しい性を抑えて、穏かな性を身に付けさせる。」

「同様に、人間の煩悩を、調御するときは、
第一に、家庭の中から、人を出す必要がある。
家に甘えることなく、家に隠れない覚悟がいる。」

「次に、出家した比丘に、戒律を守らせる。
パーティモッカという、鎧に身を固めさせて、
僅かな罪にも畏れを抱き、戒を守るようにする。」

「次に、出家した比丘に、感官を守らせる。
眼耳鼻舌身意からなる、六つの扉を守らせて、
良く捉えようとも、欲に囚われないようにする。」

「次に、出家した比丘に、節制を守らせる。
味わうために食べず、楽しむために食べない。
ただ、自分の体を保つために、少しだけ食べる。」

「次に、出家した比丘に、覚醒を保たせる。
昼の間は、座禅をしながら、経行をしながら。
夜が更けて、右脇を下にして、獅子の座を取る。」

「次に、出家した比丘に、正念を保たせる。
たとえば、歩いている時も、座っている時も、
いつも、どこでも、正しく念じて、正しく知る。」

「次に、出家した比丘に、五蓋を取らせる。
森や谷や、人気のない処で、独りで瞑想して、
貪り、瞋り、眠り、焦り、疑いの障害を越える。」

「次に、出家した比丘に、正念を培わせる。
身と受と心と法に関し、良く見つめながらも、
身と受と心と法に関する、他のことを考えない。」

「次に、出家した比丘に、四禅を培わせる。
第一禅定、第二禅定、第三禅定、第四禅定と、
四つの禅を修める者は、三つの明が具えられる。」

 

第三章

「たとえ、老いた象も、調えられなければ、
野性に溺れただけで、そこに仏性は現れない。
彼らは、年を重ねても、種を越えることがない。」

「たとえ、若い象でも、調えられるならば、
野性が押さえられて、そこに仏性が現われる。
彼らは、年を取るほど、種を越えることがある。」

「たとえ、老いた人も、整えられなければ、
習性に溺れただけで、そこに知性は現れない。
彼らは、業を重ねても、業を越えることがない。」

「たとえ、若い人でも、整えられていれば、
習性が押さえられて、そこに知性が現われる。
彼らは、業を積むほど、業を越えることがある。」

「たとえ、古い比丘も、整えられなければ、
習性に溺れただけで、そこに知性は現れない。
彼らは、法を修めても、業を越えることがない。」

「たとえ、若い比丘も、整えられていれば、
習性が押さえられて、そこに知性が現われる。
彼らは、法を学ぶほど、業を越えることがある。」

これを聞き、アチラヴァタは、歓喜し実践した。


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