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有明小経(チューラヴェーダッラ・スッタ)

仏教



目次

第一章 |  第二章 |  第三章 |  第四章

 

第一章

あるとき、わたしは、このように聞いた。

ある日のこと、在俗信女のヴィサーカーは、
竹林精舎にいる、ダンマディンナーを訪れた。
親しみを込めて挨拶すると、このように尋ねた。

「婦人よ、囚われる我と、説かれています。
一体、囚われる我とは、如何なるものですか。」
「夫人よ、囚われる我とは、五つの取蘊である。

第一の蘊は、物質の執着の集まり、色蘊である。
第二の蘊は、感受の執着の集まり、受蘊である。
第三の蘊は、想念の執着の集まり、想蘊である。
第四の蘊は、意志の執着の集まり、行蘊である。
第五の蘊は、認識の執着の集まり、識蘊である。」

「婦人よ、自我の生成と、説かれています。
一体、自我の発生とは、如何なるものですか。」
「夫人よ、自我の生成とは、自我の渇愛である。」

「婦人よ、自我の消滅と、説かれています。
一体、自我の滅尽とは、如何なるものですか。」
「夫人よ、自我の消滅とは、自我の放棄である。」

「婦人よ、滅尽の実践と、説かれています。
一体、滅尽の手段とは、如何なるものですか。」
「夫人よ、滅尽の実践とは、八つの正道である。

第一の道は、正しい見解に基づく、正見である。
第二の道は、正しい思惟に基づく、正思である。
第三の道は、正しい言葉に基づく、正語である。
第四の道は、正しい行為に基づく、正業である。
第五の道は、正しい生活に基づく、正命である。
第六の道は、正しい精進に基づく、正進である。
第七の道は、正しい集中に基づく、正念である。
第八の道は、正しい禅定に基づく、正定である。」

「婦人よ、八つの正道が、説かれています。
一体、この道とは、無為ですか、有為ですか。」
「夫人よ、この道は、形成される、有為である。」

「婦人よ、三つの正学が、説かれています。
三学の戒は、八つの正道の、何に当りますか。」
「夫人よ、正語、正業、正命が、戒に相当する。」

「婦人よ、三つの正学が、説かれています。
三学の定は、八つの正道の、何に当りますか。」
「夫人よ、正進、正念、正定が、定に相当する。」

「婦人よ、三つの正学が、説かれています。
三学の慧は、八つの正道の、何に当りますか。」
「夫人よ、正見、正思が、三学の慧に相当する。」

 

第二章

「婦人よ、精神の統一が、説かれています。
一体、精神の集中とは、如何なるものですか。」
「夫人よ、精神の統一とは、四つの念処である。

第一の処は、身体は不浄である、身念処である。
第二の処は、感覚を皆苦である、受念処である。
第三の処は、意識は無常である、心念処である。
第四の処は、観念は無我である、法念処である。」

「婦人よ、精進の実践が、説かれています。
一体、精進の徹底とは、如何なるものですか。」
「夫人よ、精進の実践とは、四つの正断である。

第一の断は、現れた悪業を断じる、断断である。
第二の断は、隠れた悪業を断じる、修断である。
第三の断は、現れた善業を積む、随護断である。
第四の断は、隠れた善業を積む、律儀断である。」

「婦人よ、三つの行蘊が、説かれています。
この中でも、身の行は、如何なるものですか。」
「夫人よ、呼気と吸気が、体に於ける行である。」

「婦人よ、三つの行蘊が、説かれています。
この中でも、口の行は、如何なるものですか。」
「夫人よ、有尋と有伺が、言に於ける行である。」

「婦人よ、三つの行蘊が、説かれています。
この中でも、意の行は、如何なるものですか。」
「夫人よ、表象と感受が、心に於ける行である。」

「想受滅には、どのように、入るのですか。」
「夫人よ、自ら入ろうとせずに、自ずと入る。
それまでに、修めた行で、自然に入るのである。

第一に、口の行により、口の想受が滅して行く。
第二に、身の行により、身の想受が滅して行く。
第三に、意の行により、意の想受が滅して行く。」

「想受滅から、どのように、出るのですか。」
「夫人よ、自ら出ようとせずに、自ずと出る。
それまでに、修めた行で、自然に出るのである。

第一に、意の行により、意の想受が生じて来る。
第二に、身の行により、身の想受が生じて来る。
第三に、口の行により、口の想受が生じて来る。」

「想受滅から出た者は、どうなるのですか。」
「婦人よ、想受滅を出た者は、果等至となる。
果等至に達して、色を見とめて、空を見とめる。」

 

第三章

「婦人よ、感受とは、如何なるものですか。」
「尊い者よ、感受とは、実感することである。
意識は、楽と苦を実感し、不苦不楽を実感する。」

「では、楽の実感は、如何なるものですか。」
「第一に、楽が続く事を、感じることであり、
第二に、苦しみが終る事を、感じることである。」

「では、苦の実感は、如何なるものですか。」
「第一に、苦が続く事を、感じることであり、
第二に、楽しみが終る事を、感じることである。」

「それでは、楽を求めるのは、何故ですか。
如何なる煩悩によって、楽を感じるのですか。」
「夫人よ、貪欲によって、楽しみに感じている。」

「それでは、苦を求めるのは、何故ですか。
如何なる煩悩によって、苦を感じるのですか。」
「夫人よ、瞋恚によって、苦しみに感じている。」

「では、不苦不楽を望むのは、何故ですか。
如何なる煩悩で、不苦不楽を感じるのですか。」
「夫人よ、愚痴により、不苦不楽に感じている。」

「いきなり、すべて捨てれば良いのですか。」
「捨てるべき物があり、具えるべき物がある。
三つの段を経ながら、具えていき、捨てていく。」

「第一の段とは、有尋有伺にして離欲得楽。
吟味により、高い境地に、至りたいと考える。
貪欲を用いて、貪欲を離れる、離欲の段である。」

「第二の段とは、正念楽住にして離喜得静。
正念により、低い境地を、離れたいと考える。
瞋恚を用いて、瞋恚を離れる、離楽の段である。」

「第三の段とは、不苦不楽にして離静入空。
頓着せずに、全ての境地を、平等に捉らえる。
愚痴を用いて、愚痴を離れる、無為の段である。」

 

第四章

「婦人よ、楽と対となるものは、何ですか。
つまり、楽の感受と対となるのは、何ですか。」
「夫人よ、楽しみと対となるものは、苦である。」

「婦人よ、苦と対となるものは、何ですか。
つまり、苦の感受と対となるのは、何ですか。」
「夫人よ、苦しみと対となるものは、楽である。」

「婦人よ、楽でもないし、苦でもないもの、
つまり、不苦不楽と対となるのは、何ですか。」
「夫人よ、不苦不楽と対となるのは、痴である。」

「婦人よ、痴と対となるものは、何ですか。
つまり、無明と対となるものとは、何ですか。」
「夫人よ、無明と対となるものとは、明である。」

「婦人よ、明と対となるものは、何ですか。
つまり、智慧と対となるものとは、何ですか。」
「夫人よ、智慧と対となるものとは、離である。」

「婦人よ、離と対となるものは、何ですか。
つまり、解脱と対となるものとは、何ですか。」
「夫人よ、解脱と対となるものとは、一である。」

「婦人よ、一と対となるものは、何ですか。
つまり、涅槃と対となるものとは、何ですか。」
「夫人よ、一と対となるものは、存在しません。」

「夫人よ、涅槃こそが、一切の終局である。
一元の涅槃は、二元の言葉で、捉えられない。
涅槃は、尋ねようとせず、訪ねようとしなさい。」

こう聞いて、ヴィサーカーは、歓喜し実践した。


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