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心材喩小経(チューラサーローパマ・スッタ)

仏教



第一章

あるとき、わたしは、このように聞いた。

ある日のこと、仏陀は、サーヴァッティの、
アナータピンディカの園に、止まられていた。
そこに、ピンガラコッチャが来て、こう尋ねた。

「ゴータマよ、多くの師が、存在している。
彼らの中で、最も優れているのは、誰ですか。
あなたですか、あなた以外の、バラモンですか。」

「バラモンよ、その問には、答えられない。
その代わり、この教えを、汝に説き明かそう。
この例え話を、良く聞いて、良く考えるといい。」

「婆羅門よ、何を求めて、家を捨てるのか。
名声を得る為か、それとも、解脱を得る為か。
名声を修めて、家に帰るのは、本末転倒である。」

「婆羅門よ、この愚か者を、喩えるならば、
良い木を求め、森に来た者が、良い木を見て、
他の木を以って、家に帰るが如き、愚者である。」

「婆羅門よ、何を求めて、家を捨てるのか。
戒律を得る為か、それとも、解脱を得る為か。
戒律を修めて、家に帰るのは、本末転倒である。」

「婆羅門よ、この愚か者を、喩えるならば、
良い木を求め、森に来た者が、良い木を見て、
其の葉を以って、家に帰るが如き、愚者である。」

「婆羅門よ、何を求めて、家を捨てるのか。
禅定を得る為か、それとも、解脱を得る為か。
禅定を修めて、家に帰るのは、本末転倒である。」

「婆羅門よ、この愚か者を、喩えるならば、
良い木を求め、森に来た者が、良い木を見て、
其の枝を以って、家に帰るが如き、愚者である。」

「婆羅門よ、何を求めて、家を捨てるのか。
知見を得る為か、それとも、解脱を得る為か。
知見を修めて、家に帰るのは、本末転倒である。」

「婆羅門よ、この愚か者を、喩えるならば、
良い木を求め、森に来た者が、良い木を見て、
其の根を以って、家に帰るが如き、愚者である。」

「婆羅門よ、何を求めて、家を捨てるのか。
汝は、知見以上を得て、家に帰るべきである。
それでは、知見以上の段とは、如何なるものか。」

第一の段は、有尋有伺である、第一禅定である。
第二の段は、無尋無伺である、第二禅定である。
第三の段は、正念楽住である、第三禅定である。
第四の段は、捨念清浄である、第四禅定である。
第五の段は、空間を超越する、空無辺処である。
第六の段は、識別を超越する、識無辺処である。
第七の段は、所有を超越する、無所有処である。
第八の段は、認識を越える、非想非非想である。
第九の段は、一切を超越する、滅想受定である。」

「さて、賢き婆羅門よ、汝は如何するのか。
枝を得て家に帰るか、幹を求めて家を出るか、
この例え話を、良く聞いて、良く考えるといい。」

法悦が湧き上がった、彼は、このように言った。

「ああ、これは、とても、妙なる教えです。
さながら、暗闇の中で、灯火を掲げるように、
仏陀は、私の見えない目に、見せてくれました。」

「仏陀よ、これより、この命が尽きるまで、
私は、心から、仏と法と僧に帰依し奉ります。
三宝の帰依者として、どうか受け容れて下さい。」


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