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受法小経(チューラダンマサマーダーナ・スッタ)

仏教



目次

第一章 |  第二章

 

第一章

あるとき、わたしは、このように聞いた。

ある日のこと、仏陀は、サーヴァッティの、
ジェータ林にある、アナータピンディカ園で、
集まって来た、比丘衆に、このように説かれた。

「比丘達よ、楽と苦を分ける、分別がある。
つまり、この世の捉え方に、四つの法がある。
それでは、この四つの法とは、如何なるものか。

第一の法は、現世は楽であり、来世は苦である。
第二の法は、現世も苦であり、来世も苦である。
第三の法は、現世は苦であり、来世は楽である。
第四の法は、現世も楽であり、来世も楽である。」

「比丘達よ、快楽に溺れる、生き方がある。
彼は、楽に溺れて楽しみ、楽に囚われ苦しむ。
つまり、現世で楽を味わい、来世に苦を味わう。」

「たとえば、性愛に溺れる、生き方がある。
彼は、性に溺れて楽しみ、性に囚われ苦しむ。
つまり、現在に楽を味わい、未来に苦を味わう。」

「比丘達よ、苦痛に溺れる、生き方がある。
彼は、苦に溺れて苦しみ、苦に囚われ苦しむ。
つまり、現世で苦を味わい、来世も苦を味わう。」

「たとえば、苦行を修める、生き方がある。
彼は、行を修めて苦しみ、行に囚われ苦しむ。
つまり、現在に苦を味わい、未来に苦を味わう。」

「比丘達よ、苦痛に耐える、生き方がある。
彼は、苦に耐えて苦しみ、苦を落して楽しむ。
つまり、現世で苦を味わい、来世に楽を味わう。」

「たとえば、忍辱に徹する、生き方がある。
彼は、耐え忍んで苦しみ、苦を越えて楽しむ。
つまり、現在に苦を味わい、未来に楽を味わう。」

「比丘達よ、快楽を越える、生き方がある。
彼は、楽に溺れず楽しみ、楽を越えて楽しむ。
つまり、現世で楽を味わい、来世も楽を味わう。」

「たとえば、禅定を修める、生き方がある。
彼は、世を修めて楽しみ、界を越えて楽しむ。
つまり、現在に楽を味わい、未来に楽を味わう。」

 

第二章

「比丘達よ、比丘たる者、禅定を修習せよ。
瞑想するとき、段階となる、四つの禅がある。
それでは、この四つの禅とは、如何なるものか。」

「第一の禅とは、思いが有り、考えが有り、
欲を捨てて生じる、歓喜を体験する禅である。
その時、全身は、無欲の歓喜で満たされている。」

「喩えるなら、乾いた粉に水を含ませれば、
水を含んだ粉は、容易に崩れ落ちる事が無い。
彼らは、離欲の歓喜で、透き通らない事が無い。」

「第二の禅とは、思いが無く、考えが無く、
想を捨てて生じる、歓喜を体験する禅である。
その時、全身は、無想の喜楽で満たされている。」

「喩えるなら、外から水は入り込まないが、
内から湧き出る水で、深泉は遍く広がり渡る。
彼らは、無想の歓喜で、透き通らない事が無い。」

「第三の禅とは、正念が有り、正知が有る
喜を捨てて生じる、大楽を体験する禅である。
その時、全身は、無喜の大楽で満たされている。」

「喩えるなら、泉に咲いている蓮華の花は、
下から上に至るまで、冷水で遍く広がり渡る。
彼らは、無喜の大楽で、透き通らない事が無い。」

「第四の禅とは、大楽が無く、清浄が有る、
楽を捨てて生じる、空性を体験する禅である。
その時、全身は、無楽の空性で満たされている。」

「喩えるなら、白衣を頭から被ってしまい、
上から下に至るまで、白衣で覆い尽している。
彼らは、無楽の清浄で、透き通らない事が無い。」

これを聞いた、諸々の比丘は、歓喜し実践した。


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