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苦蘊小経(チューラドゥッカカンダ・スッタ)

仏教



目次

第一章 |  第二章

 

第一章

あるとき、わたしは、このように聞いた。

ある日のこと、仏陀は、カピラヴァッツの、
ニグローダ樹の園の中に、止まっておられた。
そこに、マハーナーマが訪れると、こう尋ねた。

「長い間、苦悩の滅尽を、教わりましたが、
いまだ、煩悩の出離を、修められていません。
私の心は、愚痴に覆われ、疑念が占めています。」

「疑念を楽しむから、愚痴に捕われている。
疑念を愉しまなければ、愚痴は落されていく。
マハーナーマよ、まさに、汝の業と知りなさい。」

「マハーナーマよ、汝は、出家していない。
煩悩を楽しむために、在家に止まるのであり、
これこそが、汝が、煩悩を喜んでいる証である。」

「煩悩は楽であると、汝は考えていないか。
煩悩が苦しみであると、汝が見とめるならば、
汝は、速やかに苦悩の根、煩悩を越えるだろう。」

「斯く言う私も、菩薩の時に、そう考えた。
煩悩の楽を味わい、必ず、煩悩の苦も味わう。
苦と楽は等しく、苦と楽は、総じて空であると。」

「摩訶男よ、菩薩の違いは、煩悩に現れる。
五つの味著を、衆生は楽しみ、菩薩は越える、
それでは、この五つの味著とは、何であろうか。

第一の楽は、眼による楽しみ、色の味著である。
第二の楽は、耳による楽しみ、声の味著である。
第三の楽は、鼻による楽しみ、香の味著である。
第四の楽は、舌による楽しみ、味の味著である。
第五の楽は、身による楽しみ、触の味著である。」

「摩訶男よ、菩薩の違いは、煩悩に現れる。
五つの禍患を、衆生は苦しみ、菩薩は越える、
それでは、この五つの禍患とは、何であろうか。

第一の苦は、眼による苦しみ、色の禍患である。
第二の苦は、耳による苦しみ、声の禍患である。
第三の苦は、鼻による苦しみ、香の禍患である。
第四の苦は、舌による苦しみ、味の禍患である。
第五の苦は、身による苦しみ、触の禍患である。」

「摩訶男よ、菩薩の違いは、菩提に現れる。
三つの苦諦を、衆生は窮めて、菩薩は究める。
それでは、この三つの苦諦とは、何であろうか。

第一の諦は、楽の裏に苦が生じる、苦苦である。
第二の諦は、楽を求め苦が生じる、行苦である。
第三の諦は、楽が壊れ苦が生じる、壊苦である。」

「摩訶男よ、菩薩の違いは、菩提に現れる。
二つの集諦を、衆生は窮めて、菩薩は究める。
それでは、この二つの集諦とは、何であろうか。

第一の諦は、欲を究めて、楽になることである。
第二の諦は、楽を究めて、苦になることである。」

「摩訶男よ、菩薩の違いは、菩提に現れる。
二つの滅諦を、衆生は窮めて、菩薩は究める。
それでは、この二つの滅諦とは、何であろうか。

第一の諦は、苦を究めて、空になることである。
第二の諦は、空を究めて、楽になることである。」

「摩訶男よ、菩薩の違いは、菩提に現れる。
八つの道諦を、衆生は窮めて、菩薩は究める。
それでは、この八つの道諦とは、何であろうか。

第一の諦は、正しい見解に基づく、正見である。
第二の諦は、正しい思惟に基づく、正思である。
第三の諦は、正しい言葉に基づく、正語である。
第四の諦は、正しい行為に基づく、正業である。
第五の諦は、正しい生活に基づく、正命である。
第六の諦は、正しい精進に基づく、正進である。
第七の諦は、正しい集中に基づく、正念である。
第八の諦は、正しい禅定に基づく、正定である。」

 

第二章

「その昔、私は、ジャイナ教の教組である、
ニガンタ・ナータプッタを訪れたことがある。
彼らは、立ち続けるという、苦行を修めていた。」

「彼らは、悪業を落すため、苦行を修める。
しかし、悪業が何なのか、解っていなかった。
悪業を削ぎ落とそうと、悪業を積み重ねていた。」

「というのも、彼らは、苦を楽しんでいた。
苦しいと言いながら、苦しみを楽しんだため、
空を捉らえることなく、苦に囚われてしまった。」

「これと同じことが、汝に就いても言える。
苦悩を越えられないと、苦悩を楽しむために、
空を捉えることなく、苦を捕えているのである。」

「ニガンダは、面白いことを、言っていた。
安楽を味わって、安楽を究められるだろうか。
苦悩を究めてこそ、安楽に極められるだろうと。」

「いいかね、ニガンダは、出離していない。
安楽を味わうために、苦悩を味わうのであり、
これこそが、彼が、煩悩を喜んでいる証である。」

「これと同じことが、汝に就いても言える。
真理を修められないと、愚痴を楽しむために、
智を捉えることなく、痴を捕えているのである。」

「煩悩は楽であると、汝は考えていないか。
煩悩が苦しみであると、汝が見とめるならば、
汝は、速やかに苦悩の根、煩悩を越えるだろう。」

「煩悩は楽であると、汝は考えていないか。
煩悩が苦しみであると、汝が見とめるならば、
汝は、速やかに苦悩の根、煩悩を越えるだろう。」

将に、思い当たった、彼は、歓喜して実践した。


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