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設智経(チャッビソダーナ・スッタ)

仏教

六つの払拭



目次

第一章 |  第二章 |  第三章

 

第一章

あるとき、わたしは、このように聞いた。

ある日のこと、仏陀は、サーヴァッティの、
ジェータ林にある、アナータピンディカ園で、
集まって来た、比丘衆に、このように説かれた。

「比丘衆よ、解脱を表明する者に問うべき、
仏陀を名乗る者に問うべき、四つの柱がある。
それでは、この四つの柱とは、如何なるものか。

第一の柱は、見ることを、正しく見ているのか。
第二の柱は、聞くことを、正しく聞いているか。
第三の柱は、思うことを、正しく思っているか。
第四の柱は、知ることを、正しく知っているか。」

「もし、彼が、本当に、覚醒しているなら、
完全なる智慧により、解脱をしているならば、
このような、ダルマに適った回答をするだろう。」

『見る事に囚われず、聞く事に捕らわれず、
考える事に捕らわれず、知る事に囚われない。
私の心は、煩悩を超越して、完全に自由である。』

「比丘衆よ、解脱を表明する者に問うべき、
仏陀を名乗る者に問うべき、五つの蘊がある。
それでは、この五つの蘊とは、如何なるものか。

第一の蘊は、物質の執着の集まり、色蘊である。
第二の蘊は、感受の執着の集まり、受蘊である。
第三の蘊は、想念の執着の集まり、想蘊である。
第四の蘊は、意志の執着の集まり、行蘊である。
第五の蘊は、認識の執着の集まり、識蘊である。」

「もし、彼が、本当に、覚醒しているなら、
完全なる智慧により、解脱をしているならば、
このような、ダルマに適った回答をするだろう。」

『五蘊とは、無常であり、儚いものである。
囚われると苦しみ、捕われないと苦しまない。
私の心は、五蘊を超越して、完全に自由である。』

 

第二章

「比丘衆よ、解脱を表明する者に問うべき、
仏陀を名乗る者に問うべき、六つの界がある。
それでは、この六つの界とは、如何なるものか。

第一の界は、地という要素である、地界である。
第二の界は、水という要素である、水界である。
第三の界は、火という要素である、火界である。
第四の界は、風という要素である、風界である。
第五の界は、空という要素である、空界である。
第六の界は、識という要素である、識界である。」

「もし、彼が、本当に、覚醒しているなら、
完全なる智慧により、解脱をしているならば、
このような、ダルマに適った回答をするだろう。」

『六界とは、非我であり、脆いものである。
頼るには値しないもの、拠るべき物ではない。
私の心は、五蘊を超越して、完全に自由である。』

「比丘衆よ、解脱を表明する者に問うべき、
仏陀を名乗る者に問うべき、六つの処がある。
それでは、この六つの処とは、如何なるものか。

第一の処は、眼が色を感じている、眼処である。
第二の処は、耳が音を感じている、耳処である。
第三の処は、鼻が香を感じている、鼻処である。
第四の処は、舌が味を感じている、舌処である。
第五の処は、身が触を感じている、身処である。
第六の処は、意が法を感じている、意処である。」

「もし、彼が、本当に、覚醒しているなら、
完全なる智慧により、解脱をしているならば、
このような、ダルマに適った回答をするだろう。」

『六処とは、苦悩であり、患うものである。
諦らめるべきであると、明らめるべきである。
私の心は、六処を超越して、完全に自由である。』

 

第三章

「比丘衆よ、解脱を表明する者に問うべき、
仏陀を名乗る者に問うべき、十つの戒がある。
それでは、この十つの処とは、如何なるものか。

第一の戒は、殺生を禁じる、不殺生の戒である。
第二の戒は、偸盗を禁じる、不偸盗の戒である。
第三の戒は、邪淫を禁じる、不邪淫の戒である。
第四の戒は、虚言を禁じる、不妄語の戒である。
第五の戒は、冗談を禁じる、不綺語の戒である。
第六の戒は、悪口を禁じる、不悪口の戒である。
第七の戒は、陰口を禁じる、不両舌の戒である。
第八の戒は、貪欲を禁じる、不慳貪の戒である。
第九の戒は、瞋恚を禁じる、不瞋恚の戒である。
第十の戒は、愚痴を禁じる、不邪見の戒である。」

「もし、彼が、本当に、覚醒しているなら、
完全なる智慧により、解脱をしているならば、
このような、ダルマに適った回答をするだろう。」

『十戒とは、守護であり、守るものである。
守り続けるならば、護られ続けるものである。
私の心は、十戒を超越して、完全に自由である。』

「比丘衆よ、解脱を表明する者に問うべき、
仏陀を名乗る者に問うべき、四つの禅がある。
それでは、この四つの禅とは、如何なるものか。

第一の禅は、有尋有伺である、第一禅定である。
第二の禅は、無尋無伺である、第二禅定である。
第三の禅は、正念楽住である、第三禅定である。
第四の禅は、捨念清浄である、第四禅定である。」

「もし、彼が、本当に、覚醒しているなら、
完全なる智慧により、解脱をしているならば、
このような、ダルマに適った回答をするだろう。」

『四禅とは、手段であり、乗るものである。
超えていくものから、越えられるものである。
私の心は、四禅を超越して、完全に自由である。』

これを聞いた、諸々の比丘は、歓喜し実践した。


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