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多受経(バフヴェーダニヤ・スッタンタ)

仏教

多くの感受についての教え



目次

第一章 |  第二章

 

第一章

あるとき、わたしは、このように聞いた。

ある日のこと、仏陀は、サーヴァッティの、
アナータピンディカの園に、止まられていた。
そこに、アーナンダが遣って来て、こう尋ねた。

「尊師よ、どちらが、正しいのでしょうか。
パンチャカンガは、二つの感受を説きました。
一方で、ウダーイは、三つの感受を解きました。」

「わたしは、根拠に基づいて、感受を解く。
根拠に基き解くなら、和合を望むようになり、
感情に基いて説くなら、論争に臨むようになる。」

「アーナンダよ、根拠に基き、感受を解く。
根拠に従い、分けるならば、二つの受がある。
それでは、この二つの受とは、如何なるものか。

第一の受は、身体が感じる、感受のことである。
第二の受は、精神が感じる、感受のことである。」

「アーナンダよ、根拠に基き、感受を解く。
根拠に従い、分けるならば、三つの受がある。
それでは、この三つの受とは、如何なるものか。

第一の受は、快楽を感じる、感受のことである。
第二の受は、苦痛を感じる、感受のことである。
第三の受は、不苦で不楽の、感受のことである。」

「アーナンダよ、根拠に基き、感受を解く。
根拠に従い、分けるならば、五つの受がある。
それでは、この五つの受とは、如何なるものか。

第一の受は、身体が苦痛を感じる、苦受である。
第二の受は、身体が快楽を感じる、楽受である。
第三の受は、精神が苦痛を感じる、憂受である。
第四の受は、精神が快楽を感じる、喜受である。
第五の受は、不苦かつ不楽である、感受である。」

「アーナンダよ、根拠に基き、感受を解く。
根拠に従い、分けるならば、六つの受がある。
それでは、この六つの受とは、如何なるものか。

第一の受は、眼により色を感じる、眼受である。
第二の受は、耳により声を感じる、耳受である。
第三の受は、鼻により香を感じる、鼻受である。
第四の受は、舌により味を感じる、舌受である。
第五の受は、身により触を感じる、身受である。
第六の受は、意により法を感じる、意受である。」

「アーナンダよ、根拠に基き、感受を解く。
根拠に従い、分けるならば、十八の受がある。
それでは、この十八の受とは、如何なるものか。

第一の受は、眼により楽を感じる、眼受である。
第二の受は、耳により楽を感じる、耳受である。
第三の受は、鼻により楽を感じる、鼻受である。
第四の受は、舌により楽を感じる、舌受である。
第五の受は、身により楽を感じる、身受である。
第六の受は、意により楽を感じる、意受である。
第七の受は、眼により苦を感じる、眼受である。
第八の受は、耳により苦を感じる、耳受である。
第九の受は、鼻により苦を感じる、鼻受である。
第十の受は、舌により苦を感じる、舌受である。
十一の受は、身により苦を感じる、身受である。
十二の受は、意により苦を感じる、意受である。
十三の受は、眼の不苦不楽である、眼受である。
十四の受は、耳の不苦不楽である、耳受である。
十五の受は、鼻の不苦不楽である、鼻受である。
十六の受は、舌の不苦不楽である、舌受である。
十七の受は、身の不苦不楽である、身受である。
十八の受は、意の不苦不楽である、意受である。」

 

第二章

「アーナンダよ、これらの感受より優れた、
欲望を越えた、色界に至る、四つの禅がある。
それでは、この四つの禅とは、如何なるものか。」

「第一の禅とは、思いが有り、考えが有り、
欲を捨てて生じる、歓喜を体験する禅である。
彼は、欲界の魔天を越え、色界の梵衆天に至る。」

「第二の禅とは、思いが無く、考えが無く、
想を捨てて生じる、歓喜を体験する禅である。
彼は、梵衆天の世を越えて、光音天の界に至る。」

「第三の禅とは、正念が有り、正知が有る
喜を捨てて生じる、大楽を体験する禅である。
彼は、光音天の世を越えて、遍浄天の界に至る。」

「第四の禅とは、大楽が無く、清浄が有る、
楽を捨てて生じる、清浄を体験する禅である。
彼は、遍浄天の世界を越えて、色究竟天に至る。」

「アーナンダよ、これらの感受より優れた、
形状を越えた、無色に至る、四つの禅がある。
それでは、この四つの禅とは、如何なるものか。」

「第一の禅とは、有辺であり、無辺である、
有辺と無辺の対立を越えた、無色の界である。
彼は、色究竟天の世を越えて、空無辺処に至る。」

「第二の禅とは、有識であり、無識である、
有識と無識の対立を越えた、無色の界である。
彼は、空無辺処の世を越えて、識無辺処に至る。」

「第三の禅とは、有我であり、無我である、
有我と無我の対立を超えた、無色の界である。
彼は、識無辺処の世を越えて、無所有処に至る。」

「第四の禅は、非想であり、非非想である、
非想と非非想の対立を越えた、無色界である。
彼は、無所有処を越えて、非想非非想処に至る。」

「アーナンダよ、これらの感受より優れた、
想受を滅した、一元に至る、一つの禅がある。
それでは、この一つの禅とは、如何なるものか。」

「第一の禅とは、想念を超え、感受を越え、
涅槃と輪廻の対立を越えた、大般涅槃である。
彼は、非想非非想を越え、完全なる涅槃に至る。」

これを聞いた、諸々の比丘は、歓喜し実践した。


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