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多界経(バフダートゥカ・スッタ)

仏教

多くの要素



目次

第一章 |  第二章

 

第一章

あるとき、わたしは、このように聞いた。

ある日のこと、仏陀は、サーヴァッティの、
ジェータ林にある、アナータピンディカ園で、
集まって来た、比丘衆に、このように説かれた。

「比丘達よ、このように、知るべきである。
あらゆる災いは、愚者から、生じるのであり、
あらゆる苦しみは、愚者から、生じるのである。」

「水を受け付けない、家が焼け落ちるよう、
法を受け付けない、愚か者は苦に落ちていく。
それゆえ、比丘達よ、賢者であることを求めよ。」

アーナンダは、仏陀に対し、このように尋ねた。

「尊師よ、賢者とは、如何なる者でしょう。」
「要素に通じている者、場所に通じている者。
縁起に通じている者、理に通じている者である。」

「比丘達よ、賢明な者が、通じている要素、
賢者が、精通している要素、十八の界がある。
それでは、この十八の界とは、如何なるものか。

第一の界は、眼に写しているもの、眼界である。
第二の界は、耳に写しているもの、耳界である。
第三の界は、鼻に写しているもの、鼻界である。
第四の界は、舌に写しているもの、舌界である。
第五の界は、身に写しているもの、身界である。
第六の界は、意に写しているもの、意界である。
第七の界は、色を写しているもの、色界である。
第八の界は、声を映しているもの、声界である。
第九の界は、香を映しているもの、香界である。
第十の界は、味を映しているもの、味界である。
十一の界は、触を映しているもの、触界である。
十二の界は、法を映しているもの、法界である。
十三の界は、眼と色を移すもの、眼識界である。
十四の界は、耳と声を移すもの、耳識界である。
十五の界は、鼻と香を移すもの、鼻識界である。
十六の界は、舌と味を移すもの、舌識界である。
十七の界は、身と触を移すもの、身識界である。
十八の界は、意と法を移すもの、意識界である。」

「比丘達よ、賢明な者が、通じている要素、
賢者が、精通している要素、六つの元がある。
それでは、この六つの元とは、如何なるものか。

第一の元は、固体の要素である、地元素である。
第二の元は、液体の要素である、水元素である。
第三の元は、温度の要素である、火元素である。
第四の元は、気体の要素である、風元素である。
第五の元は、空間の要素である、空元素である。
第六の元は、意識の要素である、識元素である。」

「比丘達よ、賢明な者が、通じている要素、
賢者が、精通している要素、六つの素がある。
それでは、この六つの素とは、如何なるものか。

第一の素は、楽という要素である、快楽である。
第二の素は、苦という要素である、苦痛である。
第三の素は、喜という要素である、歓喜である。
第四の素は、憂という要素である、憂鬱である。
第五の素は、捨という要素である、平静である。
第六の素は、痴という要素である、無明である。」

「比丘達よ、賢明な者が、通じている要素、
賢者が、精通している要素、六つの心がある。
それでは、この六つの心とは、如何なるものか。

第一の心は、貪りに囚われている、貪欲である。
第二の心は、貪りに捕われてない、無欲である。
第三の心は、怒りに囚われている、瞋恚である。
第四の心は、怒りに捕われてない、無恚である。
第五の心は、迷いに囚われている、愚痴である。
第六の心は、迷いに捕われてない、叡智である。」

「比丘達よ、賢明な者が、通じている要素、
賢者が、精通している要素、三つの界がある。
それでは、この三つの界とは、如何なるものか。

第一の界は、欲に捕らわれている、欲界である。
第二の界は、色に捕らわれている、色界である。
第三の界は、法に捕われている、無色界である。」

「比丘達よ、賢明な者が、通じている要素、
賢者が、精通している要素、二つの為がある。
それでは、この二つの為とは、如何なるものか。

第一の為は、因縁で作られている、有為である。
第二の為は、因縁で作られてない、無為である。」

 

第二章

「比丘達よ、賢明な者が、通じている場所、
賢者が、精通している場所、六つの処がある。
それでは、この六つの処とは、如何なるものか。

第一の処は、眼が色を感じている、眼処である。
第二の処は、耳が音を感じている、耳処である。
第三の処は、鼻が香を感じている、鼻処である。
第四の処は、舌が味を感じている、舌処である。
第五の処は、身が触を感じている、身処である。
第六の処は、意が法を感じている、意処である。」

「比丘達よ、賢明な者が、通じている縁起、
賢者が、精通している縁起、十二の縁がある。
それでは、この十二の縁とは、如何なるものか。

第一の縁は、無明が生じると、行が生じること。
第二の縁は、行が生じるとき、識が生じること。
第三の縁は、識が生じると、名色が生じること。
第四の縁は、名色が生じて、六処が生じること。
第五の縁は、六処が生じると、触が生じること。
第六の縁は、触が生じるとき、受が生じること。
第七の縁は、受が生じるとき、愛が生じること。
第八の縁は、愛が生じるとき、取が生じること。
第九の縁は、取が生じるとき、有が生じること。
第十の縁は、有が生じるとき、生が生じること。
十一の縁は、生が生じるとき、苦が生じること。
十二の縁は、苦が生じるとき、信が生じること。」

「比丘達よ、賢明な者が、通じている道理、
賢者が、精通している道理、二十の法がある。
それでは、この二十の法とは、如何なるものか。

第一の法は、すべては、無常であることである。
第二の法は、すべては、皆苦であることである。
第三の法は、すべては、非我であることである。
第四の法は、賢い者は、父母を殺めないである。
第五の法は、賢い者は、羅漢を殺めないである。
第六の法は、賢い者は、仏陀を殺めないである。
第七の法は、賢い者は、仏陀を師とするである。
第八の法は、如来は、同時に二人現れないこと。
第九の法は、聖王は、同時に二人現れないこと。
第十の法は、女性では、如来には為れないこと。
十一の法は、女性は、転輪王には為れないこと。
十二の法は、女性は、帝釈天には為れないこと。
十三の法は、女性では、魔王には為れないこと。
十四の法は、女性では、梵天には為れないこと。
十五の法は、悪い身の行いには、悪が返ること。
十六の法は、悪い口の行いには、悪が返ること。
十七の法は、悪い意の行いには、悪が返ること。
十八の法は、善い身の行いには、善が返ること。
十九の法は、善い口の行いには、善が返ること。
二十の法は、善い意の行いには、善が返ること。」

これを聞いた、諸々の比丘は、歓喜し実践した。


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