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聖求経(アリヤパリエーサナ・スッタ)

仏教



目次

第一章 |  第二章 |  第三章 |  第四章 |  第五章

 

第一章

あるとき、わたしは、このように聞いた。

ある日のこと、仏陀は、サーヴァッティの、
ジェータ林にある、アナータピンディカ園で、
集まって来た、比丘衆に、このように説かれた。

「比丘達よ、道を求める心は、素晴らしい。
比丘衆は、次の二つの道を、進むべきである。
聖なる法則を語る道か、聖なる沈黙を守る道か。」

「比丘達よ、探求の道には、聖と邪がある。
そして、邪なる探求には、六つの探求がある。
それでは、この六つの探求は、如何なるものか。

第一とは、生に臨む者が、生を望むことである。
第二とは、老に臨む者が、老を望むことである。
第三とは、病に臨む者が、病を望むことである。
第四とは、死に臨む者が、死を望むことである。
第五とは、苦に臨む者が、苦を望むことである。
第六とは、業に臨む者が、業を望むことである。」

「比丘達よ、探求の道には、聖と邪がある。
そして、聖なる探求には、六つの探求がある。
それでは、この六つの探求は、如何なるものか。

第一とは、生に臨む者が、空を望むことである。
第二とは、老に臨む者が、空を望むことである。
第三とは、病に臨む者が、空を望むことである。
第四とは、死に臨む者が、空を望むことである。
第五とは、苦に臨む者が、空を望むことである。
第六とは、業に臨む者が、空を望むことである。」

 

第二章

「比丘達よ、実に、私も、菩薩であった頃、
聖なる探求のために、出家を果したのである。
まだ、私の髪も黒くて、若かりし頃の事である。」

「私は、アーラーラ・カーラーマを訪ねた。
彼は、無所有の定を修めている、聖者であり、
私を見とめるや否や、私の根を認めたのである。」

『友よ、君に会えたことは、妙なることだ。
君は、すぐにも、私の境地を成就するだろう。
ゴータマよ、私と共に、この僧伽を率いないか。』

「実際、まもなく、私は彼と等しくなった。
それ故に、彼を知り、上が有ることを知った。
私は、彼を認めた上で、高みを求めて旅立った。」

「私は、ウッダカ・ラーマプッタを訪ねた。
彼は、非想非非想の定を修めた、聖者であり、
私を見とめるや否や、私の根を認めたのである。」

『友よ、君に会えたことは、稀なることだ。
君は、すぐにも、私の境地を達成するだろう。
ゴータマよ、私と共に、この僧伽を率いないか。』

「実際、まもなく、私は彼と等しくなった。
それ故に、彼を知り、上が有ることを知った。
私は、彼を認めた上で、高みを求めて旅立った。」

「比丘達よ、ウルヴェーラのセーナー村で、
私は、これまで以上に、瞑想の修行に励んだ。
そして、遂に、無上の平安である、涅槃を得た。」

 

第三章

「比丘達よ、もはや、生まれ変わらない、
わたしの解脱は、不動であると知ったとき、
このような思いが、私の中に生じたのである。」

『果して、この境地を、誰が見とめるのか。
心から求めない者は、端から認めないだろう。
この地に至るまで、数々の仕掛けが潜んでいる。

第一に、生に臨まず、空を望まないとならない。
第二に、老に臨まず、空を望まないとならない。
第三に、病に臨まず、空を望まないとならない。
第四に、死に臨まず、空を望まないとならない。
第五に、苦に臨まず、空を望まないとならない。
第六に、業に臨まず、空を望まないとならない。』

「こうして、最後まで残っていた、私の欲、
衆生を済度する意欲を、亡くしてしまった時、
私の目の前に、梵天が現れ、このように言った。」

『世尊よ、どうか、法の輪を回して下さい。
仏陀が、法を回さないと、世界が廻りません。
世尊が滅するときに、世界が亡びてしまいます。』

『世尊よ、生まれ付き、汚れの少ない者が、
法を認められる者が、少なからず来ています。
どうか、彼らのために、法を説き示して下さい。』

「私は、アーラーラ・カーラーマを尋ねた。
そのとき、神の声で、彼が死んだ事を知った。
彼の機根を、見とめたからこそ、残念に思った。」

「私は、ウッダカ・ラーマプッタを尋ねた。
そのとき、神の声で、彼が死んだ事を知った。
彼の機根を、見とめたからこそ、残念に思った。」

 

第四章

「果たして、誰が、真理を認められるのか。
私は、一緒に出家を果した、比丘衆を訪ねた。
遠くに、私を見とめると、彼らは近づいて来た。」

『ゴータマよ、今さら、何をしに来たのか。
汝は、苦行を捨てて、我々を捨ててしまった。
汝は堕落してしまった、早く、立ち去るが良い。』

『私は、苦行を捨てず、苦行を越えたのだ。
苦行のみか、一切の欲望を越え、戻って来た。
いいか、良く聞け、今から、全て説き明かそう。』

「すると、彼らは、わたしの変化を見とめ、
自らの変化を求めて、私に従うようになった。
彼らに向かって、私は、このように説き示した。」

『比丘達よ、探求の道には、聖と邪がある。
そして、邪なる探求には、六つの探求がある。
それでは、この六つの探求は、如何なるものか。

第一とは、生に臨む者が、生を望むことである。
第二とは、老に臨む者が、老を望むことである。
第三とは、病に臨む者が、病を望むことである。
第四とは、死に臨む者が、死を望むことである。
第五とは、苦に臨む者が、苦を望むことである。
第六とは、業に臨む者が、業を望むことである。』

『比丘達よ、探求の道には、聖と邪がある。
そして、聖なる探求には、六つの探求がある。
それでは、この六つの探求は、如何なるものか。

第一とは、生に臨む者が、空を望むことである。
第二とは、老に臨む者が、空を望むことである。
第三とは、病に臨む者が、空を望むことである。
第四とは、死に臨む者が、空を望むことである。
第五とは、苦に臨む者が、空を望むことである。
第六とは、業に臨む者が、空を望むことである。』

「比丘達よ、このように、説き明かされて、
五人の比丘は、空を望んで、涅槃に到達した。
そして、彼らは、再生が尽きたことを、知った。」

 

第五章

「比丘達よ、一切の欲望から、離れていく、
悪魔の支配を、越えていく、九つの禅がある。
それでは、この九つの定とは、如何なるものか。」

「第一の段とは、思いが有り、考えが有り、
欲を捨てて生じる、歓喜を体験する禅である。
彼は、欲界の魔天を越え、色界の梵衆天に至る。」

「第二の段とは、思いが無く、考えが無く、
想を捨てて生じる、歓喜を体験する禅である。
彼は、梵衆天の世を越えて、光音天の界に至る。」

「第三の段とは、正念が有り、正知が有る
喜を捨てて生じる、大楽を体験する禅である。
彼は、光音天の世を越えて、遍浄天の界に至る。」

「第四の段とは、大楽が無く、清浄が有る、
楽を捨てて生じる、清浄を体験する禅である。
彼は、遍浄天の世界を越えて、色究竟天に至る。」

「第五の段とは、有辺であり、無辺である、
有辺と無辺の対立を越えた、無色の界である。
彼は、色究竟天の世を越えて、空無辺処に至る。」

「第六の段とは、有識であり、無識である、
有識と無識の対立を越えた、無色の界である。
彼は、空無辺処の世を越えて、識無辺処に至る。」

「第七の段とは、有我であり、無我である、
有我と無我の対立を超えた、無色の界である。
彼は、識無辺処の世を越えて、無所有処に至る。」

「第八の段は、非想であり、非非想である、
非想と非非想の対立を越えた、無色界である。
彼は、無所有処を越えて、非想非非想処に至る。」

「四つの色界を越え、四つの無色界を超え、
あらゆる想を滅し、滅想受定に入るのである。
そのとき、彼は、完全に悪魔の支配を脱却する。」

これを聞いた、諸々の比丘は、歓喜し実践した。


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