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入出息念経(アーナーパーナサティ・スッタ)

仏教

出入息観



目次

第一章 |  第二章

 

第一章

あるとき、わたしは、このように聞いた。

ある満月の夜、仏陀は、サーヴァッティの、
ミガーラマーター講堂に、止まっておられた。
その地には、有名な古参の弟子が集まっていた。

サーリプッタ、モッガラーナ、アヌルッダ、
マハーカッサパ、カッチャーヤナ、カッピナ、
マハーコッティタ、レーヴァタ、アーナンダ等。

古参の弟子は、新参の弟子を指導しながら、
教え教わりつつ、互いに大きく進歩していた。
仏陀は、比丘衆が集まると、このように説いた。

「比丘達よ、理想の僧は、如何あるべきか。
理想の僧伽が、具えている、二十の柱がある。
それでは、この二十の柱とは、如何なるものか。

第一の柱は、言葉を慎んで、沈黙を愛すること。
第二の柱は、尊敬に値して、供養に値すること。
第三の柱は、梵行を修めて、羅漢に達すること。
第四の柱は、分結を断じて、不還に達すること。
第五の柱は、三毒を断じて、一来に達すること。
第六の柱は、上流に預かり、預流に達すること。
第七の柱は、四念処を修め、七科に勤しむこと。
第八の柱は、四正勤を修め、七科に勤しむこと。
第九の柱は、四神足を修め、七科に勤しむこと。
第十の柱は、五根を修めて、七科に勤しむこと。
十一の柱は、五力を修めて、七科に勤しむこと。
十二の柱は、七覚支を修め、七科に勤しむこと。
十三の柱は、八正道を修め、七科に勤しむこと。
十四の柱は、慈愛を修めて、無量心を培うこと。
十五の柱は、悲哀を修めて、無量心を培うこと。
十六の柱は、歓喜を修めて、無量心を培うこと。
十七の柱は、平等を修めて、無量心を培うこと。
十八の柱は、不浄を修めて、出離に勤しむこと。
十九の柱は、無常を修めて、出離に勤しむこと。
二十の柱は、入息を調えて、出息を整えること。」

 

第二章

「入出息を整えられると、四念処を修める。
四念処を修められると、七覚支を修められる。
七覚支を修められるとき、離解脱を修められる。」

「では、入出息を整えるには、如何するか。
長く吸っていれば、長く吸っていると考えて、
短く吐いているなら、短く吐いていると考える。」

「心が動いているなら、心が動いていると、
喜びを感じていれば、喜びを感じると考えて、
憂いを感じているなら、憂いを感じると考える。」

「心を止めているなら、心を止めていると、
無常を観じていれば、無常を観じると考えて、
離欲を観じているなら、離欲を観じると考える。」

「では、四念処を修めるには、如何するか。
身体を認めるときは、不浄を観じると考えて、
感覚を見とめるときは、皆苦を感じると考える。」

「何を行うときも、何を為しているときも、
意識を認めるときは、無常を観じると考えて、
法則を見とめるときは、非我を感じると考える。」

「こうして、憶念しながら、思惟するとき、
その比丘には、第一の、念覚支が湧き上がる。
そして、念覚支を修めて、熟考して吟味をする。」

「こうして、熟考しながら、吟味するとき、
その比丘には、第二の、択法覚支が湧き上る。
そして、択法覚支を修め、不退転の精進をする。」

「こうして、精進しながら、邁進するとき、
その比丘には、第三の、精進覚支が湧き上る。
そして、精進覚支を修め、歓喜して修行をする。」

「こうして、歓喜しながら、修行するとき、
その比丘には、第四の、喜覚支が湧き上がる。」
そして、喜覚支を修めて、身と心が軽快になる。」

「こうして、心身において、軽快になると、
その比丘には、第五の、軽安覚支が湧き上る。
そして、軽安覚支を修め、心が三昧に固定する。」

「こうして、集中しながら、三昧になると、
その比丘には、第六の、定覚支が湧き上がる。
そして、定覚支を修めて、諦念して観察をする。」

「こうして、諦念しながら、観察するとき、
その比丘には、第七の、捨覚支が湧き上がる。
そして、捨覚支を修めて、解脱の果報が生じる。」

これを聞いた、諸々の比丘は、歓喜し実践した。


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