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無穢経(アナンガナ・スッタ)

仏教



目次

第一章 |  第二章

 

第一章

あるとき、わたしは、このように聞いた。

ある日のこと、仏陀は、サーヴァッティの、
アナータピンディカ園に、止まっておられた。
サーリプッタは、比丘衆に、このように言った。

「比丘達よ、穢れ有る人に、優と劣が有る。
劣る人は、汚れが有って、有る事を認めない。
優れた人は、穢れが有って、有る事を見とめる。」

「比丘達よ、穢れ無き者に、優と劣が有る。
劣る人は、汚れが無くて、無い事を認めない。
優れた人は、穢れが無くて、無い事を見とめる。」

これを、比丘衆の中に交じって、聞いていた、
モッガラーナは、サーリプッタに、こう言った。

「汚れが有る人の中でも、優と劣に分かれ、
汚れが無い人の中でも、優と劣に別れるのか。
しかし、サーリプッタよ、どうして解かるのか。」

「汚れが有る人が、穢れが無いと考えれば、
穢れが汚れを呼んで、汚れは後に増えていく。
尊者よ、こういう所以で、劣れる人と解される。」

「喩えるならば、ここに、汚れた鍋があり、
汚いと思わず、洗うことなく、捨てておけば、
埃が積もるため、益す益す、汚れるようである。」

「汚れが有る人が、穢れが有ると考えれば、
思いが汚れを消して、汚れは後に減っていく。
尊者よ、こういう所以で、優れた人と解される。」

「喩えるならば、ここに、汚れた鍋があり、
汚いと考えて、洗いながらも、使っていけば、
錆も落ちるため、行く行く、輝けるようである。」

「汚れが無い人が、穢れが有ると考えれば、
穢れが汚れを呼んで、汚れが新たに現われる。
尊者よ、こういう所以で、劣れる人と解される。」

「喩えるならば、ここに、美しい鍋があり、
汚いと考えて、洗うことなく、捨てておけば、
埃が積もるため、行く行く、汚れるようである。」

「汚れが無い人が、穢れが無いと考えれば、
思いが汚れを防いで、汚れが新たに現れない。
尊者よ、こういう所以で、優れた人と解される。」

「喩えるならば、ここに、美しい鍋があり、
清いと考えて、洗いながらも、使っていけば、
錆も落ちるため、益す益す、輝けるようである。」

 

第二章

「なるほど、汚れ穢れと、汝は言われるが、
果たして、汚れや穢れとは、如何なるものか。
サーリプッタよ、汝が説く処の、汚穢とは何か。」

「モッガラーナよ、汚濁とは、三毒である。
無明の闇に陥り、好きと嫌いに分かれること。
愚痴に覆われ、貪欲と瞋恚に分かつことである。」

「例えば、ここに、欲に憑かれた者が居る。
彼にすれば、欲を明らめることが、善であり、
彼からすれば、欲を諦らめることが、悪である。」

「例えば、ここに、勝に憑かれた者が居る。
彼にすれば、他の者に優ることは、善であり、
彼からすれば、他の者に劣ることは、悪である。」

「例えば、ここに、名に憑かれた者が居る。
彼にすれば、良き名を得ることは、善であり、
彼からすれば、憂き名を得ることは、悪である。」

「モッガラーナよ、好きを好きと言い続け、
彼の善の中で、更に、善と悪に分かれていく。
さながら、汚れた鍋が、更に汚れるようである。」

「モッガラーナよ、嫌いを嫌いと言い続け、
彼の悪の中で、更に、悪と善に分かれていく。
さながら、錆びた鍋が、更に錆びるようである。」

モッガラーナは、サーリプッタに、こう言った。

「つまり、ということは、こういうことか。
汚いと、使わなければ、鍋は汚いままであり、
汚くても、使っていけば、鍋は清くなっていく。」

「例えば、ここに、欲に疲かれた者が居る。
彼にすれば、欲を諦らめることも、善であり、
彼からすれば、欲に縛られることが、悪である。」

「例えば、ここに、勝に疲かれた者が居る。
彼にすれば、他に勝を譲ることも、善であり、
彼からすれば、我が勝に拘ることが、悪である。」

「例えば、ここに、名に疲かれた者が居る。
彼にすれば、憂き名を得ることも、善であり、
彼からすれば、良き名に拘ることが、悪である。」

「サーリプッタよ、嫌いを好きに言い換え、
総じて飽きが減って、空の徳に変わっていく。
さながら、汚れた鍋が、光り輝けるようである。」

「サーリプッタよ、好きを空きに言い換え、
総じて空きが増えて、空の器に変わっていく。
さながら、錆びた鍋が、光り輝けるようである。」

このように、仏陀の高弟、二人の偉大な龍は、
互いに法則を交し合い、互いに法悦を生じ得た。


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