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俺の脚にしがみついた小さな男の子

2ch



地下鉄の改札口、券売機の近くに、ちっちゃなリュックをしょった小さな男の子がいた。
券売機と自動改札の間を行き来して、不安げに周囲を見るその子に、俺は声をかけた。
「どうしたんだい?」と。
男の子は答えた。
「おじいちゃんのとこに行く」
たぶん、4歳とかそこらだと思う。
目じりの辺りにカサブタみたいなのが出来てて、やんちゃそうではあったけど、可愛らしい顔して、きれいな目で、真っ直ぐに俺を見て、その子はそう言った。
これまでなら、俺は子供になんて声もかけなかった。
結婚して2年、妻が子供を授かって、周りの子供たちまで可愛く見えていたから、そんなことをしたのかもしれない。

「1人で行くの?パパかママはいないの?」
「1人で行くの。おじいちゃんのとこに行きたい」
「お金は?切符買ったり、電車乗ったりできるの?1度おうちに帰って…」
「行くの!おじいちゃんのとこに行くの!お金もあるの!」
男の子は声を張り上げた。
父親になるとは言え、子供を扱ったことのない俺はちょっとたじろいでしまった。
そこに、声を聞いて駅員が顔を覗かせた。
「どうしたんですか?ちょっと!あんた何してるの」
年配の駅員さんが、60歳近いだろうか、事務室から俺の方へと、飛び出すように出てきた。
駅員さんのきつめの口調に、連れ去り犯かなにかと勘違いされているのだと気付いた俺は、ちょっと焦った。
「いや、あの、この子、迷子みたいで…」
駅員さんは俺を質すような顔つきだったが、俺はきちんと説明し、何とか誤解を解くと、
「あ、ほら。このリュックに名前と電話番号、書いてありますよ。これで連絡してあげたら」
と何よりの解決策を見つけ、ホっと息をついた。

「じゃ、後はこちらでやりますから」
まだ疑いが晴れないのか、駅員は男の子を守るように手を引き、そう言った。
ところが男の子が、
「おじいちゃんのとこに行く。行くの!」
と言って俺の脚にしがみついた。
正直、ともかく俺は少しでも早く、駅員さんの視線や居心地の悪さから立ち去ってしまいたかった。
「駅のおじさんがママに連絡してくれるから大丈夫だよ。お兄ちゃんは急ぐから、またね」
涙が溢れる顔にそう言って、男の子の泣き声を背中に、俺は階段をあがって地上へ出た。
早く家へ帰ろう、そう思って俺は歩きだした。

その記事は4日後の新聞に載った。
『4歳児を虐待死させた母親が自首』
朝の通勤電車の車内、地方欄でその記事を見付け、
亡くなったという男の子の顔写真を見て、俺は言葉を失った。
それはあの子だった。
死後3日、母親が「子供を殺した」と警察に電話し、自首したとのことだった。
やんちゃそうではあったけど、可愛らしい顔ときれいな目で真っ直ぐに俺を見てた彼の顔と、
脚にしがみつき、涙の溢れる瞳で俺を見上げてた彼の泣き声と、
それらがごっちゃになって蘇ってきて、俺は泣いた。
新聞に、ボロボロボロボロ涙が落ちた。
嗚咽が抑えられなかった。
いぶかしげに俺を見る顔、「大丈夫ですか?」と席を譲ろうとしてくれる人の声。
けれど俺は涙が止まらず、電車を降りてベンチに突っ伏して泣いた。

どうしてもっときちんと彼の声を聞いてあげられなかったのか。
どうして彼の小さな手をほどいて、歩き出してしまったのか。

体裁を気にして逃げ出すように彼から去ってしまった自分が、悔しくて仕方なかった。

あの時、彼はおじいちゃんのところへ行きたかったのだ。
母親の虐待から、救って欲しかったのだ。
俺に会い、俺にも救いを求めたに違いなかったのに。

『3度ほど母親に連れていってもらった祖父の家へ向かおうと
 駅の改札で迷っているところを駅員に保護され、
 駅から連絡を受け連れ帰った健太ちゃんを、
 その晩に殺害したと母親は供述している。
 健太ちゃんの愛用するリュックの中には、
 10円玉が3つと空いた封を輪ゴムで止めたお菓子の袋が入っていた。
 父親は、虐待の事実には全く気付いていなかったと言う。』

目尻の傷は、やんちゃだからではなかったのだ。
あの小さなリュックには、彼の大きな決意が入っていたのだ。
しがみつく指先の力には、彼の必死な気持ちがこめられていたのに。
俺は、彼を置いて立ち去ってしまった。

俺は地下鉄の駅に向かい、券売機の前で立ち尽くした。
彼の姿、表情、抱いた決意、そして苦しかっただろう気持ちを思うと、やっぱり涙が溢れてきた。
「あなた、あの時の…」
顔をあげると、駅員さんが立っていた。
「すみません、新聞で、今朝、記事を読んで…」
なぜ謝るのかわからなかったけど、俺はそう言っていた。
「あの子、逃げ出そうとしていたんですな。本当にわたしは、何と言う罪なことをしてしまったのか…」
駅員さんは、
「行きたかったでしょうに、苦しかったでしょうに。恨んでるでしょうな、母親に連絡したわたしのことを…」
そう言って、むせぶように顔を覆い、あとは言葉が続かなかった。

ごめん、ごめん、ごめん。

俺はその場にへたりこんだ。
涙が溢れて止まらない。
全身から力が抜けてしまったようで、俺は立ち上がれず、涙は一向に止まらなかった。


小さな命を、助けてあげたかった。


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