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命の恩人

2ch



343 :58 :04/10/24 02:33:12
自分は3人兄弟の真ん中として、どこにでもある中流家庭で育ちました。

父はかなり堅い会社のサラリーマンで性格も真面目一筋で、それは厳格で厳しい父親でした。

母は元々小学校の教員をしており、典型的な箱入り娘で、真面目なんだけどどこか気の抜けた天然の入った、憎めない人でした。

そんな中育った俺も何不自由する事なく、中学、高校とエスカレート式の私学に通い特に問題を起こす事もなく、親の言われるがままに毎日を過ごしていきました。


 でも何もかも自分の敷いたレールに子供を乗せないと気が済まない親のやり方に自分が納得いかなくなり、徐々に親に対して憎しみが湧いてき、気がつけば毎日親と喧嘩ばかりしていました。

自分自身、親との距離を空けるようになり気がつけば地元のDQNとばかりつるむようになっていました。

行かしてもらった学校も中退し、毎日のように遊びほうけていました。

ある時期から親も俺に何も言わなくなり、ただ悲しそうな顔で俺の事を見守り続けていました。

俺自身もこのままじゃいけないって事を感じていましたが、手を切ることによって仲間や先輩の報復が怖くてずるずる毎日を過ごしていました。

最初はほんの興味本位で首を突っ込んだ世界が自分がその本質に気づいた時は全てが手遅れでした。

チーム同士の抗争した時は、相手側が俺んちの窓ガラスを破って乗り込んで来た事もありました。

警察のお世話にもなり、親が泣きながら警官に謝っている姿も見ました。



 自分らは極道事の一つもせず、真面目にやってきたのに怖かったやろう、悔しかったやろうと思います。

徐々に母親の精神が持たなくなり常に安定剤と睡眠薬を服薬しないといけない体になっていました。

「俺のせいだ!」悔やんでも悔やみきれない自責の念が自分を襲いました。

でもその時は手遅れで自分ではどう変えようもない環境と現実がそこにはありました。

そして出した結論が自ら育った環境を、家族を捨てるということでした。

自分が居なくなる事が今自分が出来る最高の親孝行だって、そう自分に言い聞かせ、家を出る決意をしました。


50 :58 :04/11/07 18:49:02
親に啖呵きって出てきたものの、行き場所が無く途方にくれた自分が真っ先に思い付いた所が「西成愛燐地区」でした。

前テレビのドキュメンタリー番組で見て日雇い労働の方々が集まってくる場所っていうのは知ってたので、「自分は若いし体力もあるし、仕事は何ぼでもあるやろ。」という感じで行ったのですが、現実はそんな甘いものじゃありませんでした。

僕が西成に着き最初の衝撃だったのが、その人の多さでした。

朝の4時にもかかわらず、労働センターではワゴン車が立ち並び、日雇いのおっちゃん達が仕事を探し、何やら何やら雇い主みたいな人と交渉を行っていました。

自分も負けじと見よう見真似で声を掛けていったのですが、

「仕事、定員まだ空いてますか?」

「もう来る人間全部決まってるわ。」

と面白いように返ってくる答えが同じで、そして次々と定員を満たした車が出発していきました。

すっかりその時は自分にも余裕が無くなって、必死に片っ端から声を掛けていました。

しかし自分の思うように仕事は見つからず、さらに追い討ちを掛けるように雇い主から

「それはそうと兄ちゃん手帳は持ってるんか?」

「は?手帳?なんですか、それ?」

「手帳も知らずに西成きたんかいな?ここで働くのに必要な証明書みたいなもんや。」

「どこで発行してもらえるんですか?今日中にもらえますか?」

「ここのセンターの二階が発行元やけど、例え今日手続きしたとしても貰えんの最低半年は覚悟せなあかんで。」

「は、半年!?」

「そらそうやがな。ていうかそれなかったら、間違いなくどこも雇ってはくれへんで。」

不安が自分の中で絶望に変わった瞬間でした。


52 :58 :04/11/07 19:45:39
絶望に打ちのめされた俺は、センターの近くの一角で倒れるように、ヘタリこみました。

不安や希望、悲しみといった感情の糸が切れてしまって生きていく気力が全く無くなってしまったのです。

着の身着のままで出てきてる分、とっくの昔にお金は底をついていました。

後々考えたら煮炊き場とかあったのですが、その時は本当にそこまで考える余裕も無く心底このまま自分が死ぬ事を覚悟しました。

生まれて初めて死と向き合った瞬間でした。

そしたら、親の事、兄弟の事、ツレや当時付き合っていた彼女の事とか思い出してきて、とめどなく涙がポロポロ流れてきました。

とことん自分を責め、悔やみました。

そして僕に関わった全ての人の幸せを心から願いました。

不思議と死にたくないという感情は生まれてきませんでした。

そしてそこから何日が過ぎ、いよいよ自分の意識が起きてるか寝てるか解らない状態になった時、

「おい、お前見た感じ若そうだけど、何してんだこんなとこで。」

とある男性から声をかけられました。

その人こそ命の恩人でした。


53 :58 :04/11/07 19:46:05
「何だ若いのに、青い顔して。飯食ってないんだろう。」

「はい。。」

「ほれ見てみろ。今にも死にそうな顔して。飯くらい奢ってやるから付いて来い。」

と自分自身半分訳の分からぬまま、おじさんに付いて行き、自分の西成来るまでの経緯を全て話しました。

おじさんは黙って俺の話を一通り聞いた後、

「馬鹿な事しやがって。」

と吐き捨てる様にいいました。

そして長い長い沈黙後

「坊主、ちょっと付き合え」

と突然店を出て歩きだしました。

ただ自分は訳も分からず付いて行くことにしました。

シティーホテルの前でおじさんは突然立ち止まり、

「お前はそこで待ってろ」

と一人フロントに入って行き、しばらくして自分も呼ばれ、ホテルの一室の中に通され

「しばらくだけどこの部屋寝泊りに使っていいぞ。」

「いや、そんな事してもらったら申し訳ないですよ。」

「一文無しの分際で知ったような口聞いてんじゃねぇ!!」

「でも。。。」

「いいんだよ。今日パチンコで大勝ちしたから。」

そんなこんなやりとりがあり、俺はその部屋で2週間寝泊りする事になりました。

その間の2週間おじさんと色んな話をしました。

おじさんホントいい人で言葉数は

少なくすぐ怒るんだけど、まっすぐな人で、照れ屋で。

おじさんも若かった頃は九州でバリバリ働いて、妻子も養っていたんだけど、病気で体壊して、会社クビになって
妻子にも逃げられ、流れ流れて行き着いた先が西成だったらしい。

ちょうど息子が順調に生きてたら、今頃俺ぐらいの年で、実の息子には何もしてやれんまま離れ離れになった
から、路上で野垂れ死に寸前の俺を見て、息子の変わりにこの子にできる事があればしてあげよう。

って思ったらしい。


54 :58 :04/11/07 20:50:20
そして一日一日が嘘のようにあっと言う間に過ぎていきました。

本当に良くしてくれました。

朝は一緒に喫茶店でモーニングを食べ、食べ終わったらおっちゃん日雇いの仕事行くみたく、自分の食べる昼ごはんと、俺の分いつも買ってくれて「いい子で待ってろよ」ってまるで俺子供扱いでした。

おれ、何度も仕事手伝うよって言ったけど最後まで付いていかしてくれませんでした。

そして晩は晩で一緒に食べに行き、本当に親子みたいな関係でした。

おっちゃんが店のマスターに

「子供さん連れてきはったのですか?」

て聞かれ、本当に嬉しそうな顔して否定してた。

俺も今までこんなに人から親切にしてもらった事なかったから、本当に嬉しかった。

世の中捨てたもんじゃねぇなって。

初めて心から信用出来る大人に出会えた喜びでいっぱいだった。

でも同時に俺の存在がおじさんに負担をかけてる現実がたまらなく辛かった。

この生活はいつまでも続くものじゃないって、何より自分が分かっていたから。

そして俺自身、いつ自分からこの事言い出そうって思ってた。

そしてある晩、おじさんから俺の部屋に入ってきて、話始めた。



55 :58 :04/11/07 20:51:04
「この2週間、お前と知り合えて楽しかったよ。でもいつまでもお互いにこんな生活続けていかれへん。お前これからどうするつもりや?」

「うん。とりあえず西成出て、仕事探しながら交通費貯めて知り合いのところ訪ねていくつもり。やねん。」

「そうか。そのほうがええ。この街なんか一日も早く離れ、養ってもらえる所があるんやったらそこに行きなさい。」

そう言っておっちゃんが最後に5千円を俺のポケットにねじ込んでくれました。

「いや、おっちゃんかまへんって。そこまでせんといて。」

「かまへん。とっとけ。ええか?おっちゃんと約束してくれ。まず2度とこの西成に戻ってくんな。この街は人間の墓場みたいな所や。お前にはおっちゃんと違って若さという可能性を持ってる。だからこんなとこでお前の限りない可能性を無駄にはするな。ほんである程度生活が安定したら両親に連絡したれ。元気で頑張ってるの一言でええから。どんな子供だって、親からしたら子供は宝であり、夢や希望や。子供に幸せになってもらいたいと願わん親は無い。だから絶対連絡はしたれ。約束できるな。」

「うん。。。。。」

もうその時は泣けて泣けて、人の別れでこんな悲しいの初めてでした。

「あほ。男やったらいちいちピーピー泣くな。。。。また明日な。」

とだけ言い残しておじさんは部屋をでていきました。

その日の朝の喫茶店でモーニング食べている時から二人とも黙ったままでした。

そして別れの時ホームでおじさんがポツリと

「俺が甲斐性ないばっかりにすまんかった。」

「そんなん言わんといて。今までほんまありがとう。俺お礼言っても言い尽くされへんわ。」

「もしお前がどーしても頑張ってまた挫折した時は西成帰っておいで。また出会ったあの場所で会おう。わしもたまに見に行くようにするから。ほんま体に気をつけて。」

そしておじさんとは地下鉄の動物園前のホームで別れました。

5年前の暑い夏の日でした。


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