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今思い出しても切なくなる思い出

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1 - 名前:おさかなくわえた名無しさん [] 投稿日:2005/05/19(木) 21:04:29 ID:euUs4wy/

小学生の時、父親と共同作業で木の椅子を作るという行事があった。
俺の父はトラック運転手で普段家で会うことが少なかったけど、
その日は一緒に参加してくれたんだ。
もともと手先が器用な親父は明らかに他の人よりもうまく椅子を作り
上げていった。もちろんそれは担任の目にも止まって、最後に皆で
集まった時に俺は
「素晴らしいのが出来たけど感想は?」
って聞かれたんだ。
俺は親父が誇らしくって、すごく嬉しかったのに、ついウケを狙って
「ほとんど何もさせてもらえませんでした~w」みたいな事を
言ってしまった。会場はドッと笑い声が起きたけど、ふと親父を見ると
すごく寂しそうな顔してた…。

あの時の事思い出すとなんか胸が苦しくなる。


5 名前:おさかなくわえた名無しさん:2005/05/19(木) 21:17:54 ID:mWnHuIa2
高校の頃、親と喧嘩しプチ家出。一晩中フラフラして海で朝を迎えた時。
煙草吸いながら、一人で日の出を見てたら泣けてきた。
親の事は決して嫌いじゃなかったけど、反抗期ってやつだったんだよなぁ。


9 名前:おさかなくわえた名無しさん:2005/05/20(金) 22:26:28 ID:SaO1tj6/
転校したての学校で遠足があり、
友達が誰もいないままだった自分はたった一人でお弁当を食べた。
「一緒に食べるみんなと分け合ったりしたら?」と母が言って
多めに入れてくれたイチゴを全部自分で食べた。
食べ終わった後、それに気が付いた先生が
「ごめんね、気が付かなくてごめんね」と言って泣きべそをかいた。
こっちの方が泣きたいよ!と思った。
家に帰ったら母親が「みんなと仲良くお弁当食べられた?」と聞いてきたので「うん」とウソをついた。
それなのに、後日、家庭訪問に来た担任が
「遠足の時、私が至らないばかりに、一人でお弁当を食べさせてしまった」
と謝るつもりで暴露した。
そしたら母親が泣いた。それを見て自分も泣いた。担任も泣き出した。


12 名前:おさかなくわえた名無しさん:2005/05/20(金) 22:48:45 ID:z41Cw73D
>>9
泣ける。自分も一つ。

高校3年の時、母親が入院してしばらく父親の2人きりの生活となった。
亭主関白な父だが、母がいないとほんと何も出来なくて家の中は荒れ放題だった。
もちろん食事も外食か買ってきた惣菜ばかり。
ふと、「早く母さんの手料理が食べたい」と独り言のつもりで言ったのだが、
それを気にしたのか次の日は父がカレーを作っていた。
ルーが完全に溶けておらず、固まりも入っていたが、すごく美味しかった。
美味しそうに食べる姿を見ながら、「母さん早く帰ってくるといいな」と普段は
絶対言わないような事を話した父の顔が忘れられない。

あの時の事は何故か鮮明に覚えてて、
悲しい出来事じゃないけど切なくなる。


14 名前:おさかなくわえた名無しさん:2005/05/20(金) 22:54:16 ID:dNvI4bRd
高校卒業して仲の良かった皆がバラバラに、それぞれの道を進む時。

3月の終わり、次は皆で集まるのもだいぶ先だからと海でキャンプした。
まだまだ寒かったけど、誰一人眠ろうとせず、昔の事、恋の話、将来、色んな事話し合った。
「親友」って言葉を恥ずかしげもなく言えたあの頃。


25 名前:おさかなくわえた名無しさん:2005/05/21(土) 02:20:06 ID:OaC0Wk3R
七夕の笹飾りに「おねえちゃんにあいたい」って書いたあの日。
その数日後に会えたのは嬉しかった。神様が本当にいるって思ってた。
でも、それきり会ってない。
離婚により離れ離れになった姉弟を不憫に思いなんとか都合つけて会わせてくれたんだよな、父親は。
母親は再婚しちゃった。
見たことの無い妹もいるそうな。
姉さんだけは元気でやっていてくれたら、嬉しいけどな。

もう、あんなに純粋な頃には戻れないんだな、哀しいね。


29 名前:おさかなくわえた名無しさん:2005/05/21(土) 10:44:32 ID:eBB6KTml
一人暮らしを始めて初めて風邪を引いた時、
仕事を早退させてもらって帰ってずっと寝ていた。
そんな時携帯に母親からの着信が…。
話をするのもしんどかったので、そのまま放っていたら数十分後、
インターフォンが鳴り、出るとそこには息を切らせた母親が立っていた。
ここ数日ずっと調子が悪く携帯に出ていなかったのだが、
心配になって来たのだと話す母に自立するつもりで一人暮らしを始めたのに全然自立出来ていないような気持ちになってしまい、
「人が体調悪くて寝てるんだから、いちいち起こすな!」と怒鳴り追い帰してしまった。
その後、無性に自分が情けなくって、許せなくって、一人で泣いた。

母さん、あの時ごめん。


33 名前:おさかなくわえた名無しさん:2005/05/21(土) 19:41:51 ID:zneSBDx9
すごく好きだった彼女に振られて、しばらく経ったある日…
デパートでエレベータを空けた瞬間に彼女が目の前にいた。向こうは携帯をいじっててこっちには気づかなかったけど、一瞬時が止まったよ。
その直後ドア閉めるボタン連打して結局向こうは気づかずじまいだったけど。当時まだ未練たらたらだったんだよな。
何かドラマみたいなことってほんとにあるんだなぁ~なんて思いながら、あの時の事を思い出すと切ない。


60 名前:おさかなくわえた名無しさん:2005/05/29(日) 01:32:14 ID:N1lD+QjQ
初孫だった私を、母方の祖父はものすごく可愛がってくれていたそうだ。
だが、遠くに住み、年に1度会うか会わないかだったので、私にとっては、
おじいちゃんとは分かりながらも、人見知りしてしまう存在だった。
祖父は私に会いたさに、時々こっちに遊びに来たが、私はたまにしか
会わない馴染みの薄い(と思っていた)祖父の愛情が理解できず、
なんとなく重荷に思えてしまい(おじいちゃんごめん)、甘えたりも
しなかった。
成長するにしたがい、私もそれなりに祖父に甘えたりするようになったけど、祖父を好きというよりも、母や祖母へのポーズでもあり、
そうしなくては悪いような気がしていたから。

私が19の時に祖父が亡くなった後、遺品を整理していたら、私の写真がゴロゴロ出てきて(母が送っていたらしい)
すべての写真の裏に私に宛てたメッセージがあった。
私はなんてひどい孫だったんだろう。涙が止まらなかった。


65 名前:おさかなくわえた名無しさん:2005/05/29(日) 02:49:37 ID:i+6Tm4Of
父親が入院した時のこと。
病気自体は「死ぬ病気じゃない」って言われてたが、
入退院を繰り返してた。
当時は社会人1年生で覚えることも多い上に仕事が忙しく、土日にも仕事をしてるのが普通。
母親からも「お見舞いに行きなさい」と言われても「忙しいからいやだ」とか抜かして泣かれる始末。
いいじゃん、死ぬわけでもなし……と思いながら
しぶしぶ兄貴夫婦につき合って見舞いに行ったんだけど、
頭の中は「早く帰って仕事の続きしなきゃ」ということばかり。
帰り際に親父が少し寂しそうに「また来てくれよな」と言った。
頭の中では「忙しいんだからそんなこれねえよ」と思いながら振り向きもせずに「ああ、うん」と適当な返事。

でもその後で容態が急変して親父は意識がなくなり、そのまま帰らぬ人となってしまった。
後で聞いたら院内感染してしまい、それが致命的になってしまったらしい。
最後の会話があんなに素っ気ないものになるなんて。
いまでも後悔してる。もっとちゃんと話していればよかった。


77 名前:おさかなくわえた名無しさん:2005/06/06(月) 00:20:48 ID:qd450DMA
昨日高校生の頃の夢を見た。
2年に進級する際のクラス替え、皆が何かそわそわしてた。
俺ももちろん例外なく。
実際のあの頃はサボってばっか、停学にもなったし、留年もしそうになった。毎日くだらないと思ってた。
けど、夢の中の俺はすごく楽しそうだった。
起きた時に何故か涙が出ていた。

…どうしてあの時もっと色んな事に挑戦しなかったんだ。どうしてもっと一生懸命になれなかったんだ。
こんな事今更考えてもどうしようもないのに・・・


94 名前:おさかなくわえた名無しさん:2005/06/23(木) 00:02:30 ID:PSVazzD9
友達と好きな人が被ってしまい、結局友情を選んだ。
卒業式の日、ボタンを貰いに行きたいから付いてきてと言われた。
雨で私が支えた傘の下でボタンが渡されてた。
悔しくて切ねぇーっ


96 名前:おさかなくわえた名無しさん:2005/06/27(月) 00:52:28 ID:Omoxv8o1
生まれて初めて告白し、振られた時の事を思い出すと切なくなる。
直接告白する勇気もなくて、電話することにしたんだけど、
それでも出来ないもんだから友達2人に横にいてもらって・・・
後日手紙が来て、そこで振られたけど、何か切なさと初めて告ったっていう充実感があって自分で変な感じだった。

今から考えると、あの頃が一番純粋だったなぁ…。
何もなかったけど、何よりも変えがたい思い出ばかりだよ。


130 名前:おさかなくわえた名無しさん:2005/07/11(月) 01:29:33 ID:kQ7SFo0J
思い出というには最近の出来事だが。

彼の家は今両親が別居中。
幼い頃も母親はご飯を作らなかったみたいで
手料理を食べたことがあんまりないらしい。
うちは家庭不和ではないものの、母親が料理が壊滅的に下手くそで
父が文句を言って以来滅多に作らなくなった。
ある日彼の家で一緒に私の作ったご飯を食べてたら彼が急に泣き出した。
「こんなおいしいご飯初めて食べた」と。
私は、ご飯はいつも一人で食べてたので食卓を囲うのに感動。
二人でわんわん泣きながらたべましたとさ。
別にフツーの料理だったんだがな。


145 名前:おさかなくわえた名無しさん:2005/07/23(土) 06:04:26 ID:w7jDdrQH
生涯最高の恋をした。
「いつもあなたを想っています。
あなたを想わない日はありません」とメールした。
なのに相手を思い出さない日が来てしまった。
自分自身を裏切ってしまったような気がしてせつない。


150 名前:おさかなくわえた名無しさん:2005/07/23(土) 11:50:56 ID:TB1BhNVc
>>145
同じ立場にある人間として気持ちはよくわかりますが、
そういう日があるということはわからない。
まだわからない、のかもしれない。しかしそうはなりたくない。
朝から晩まで彼女のことで頭がいっぱいだ。


154 名前:おさかなくわえた名無しさん:2005/08/03(水) 20:45:49 ID:7gHMmjSK
昔の彼女と別れる一週間前。
いつものように土曜の夜お泊りして、
日曜は1日中2人で海見ながらぼ~っとしてた。
別にお互い何も喋らなくてもよくって、彼女に膝枕されながら
「幸せだなぁ~」って思ってた。
その時は彼女も同じような事考えてるんだと思ってたけど、あとから考えるとその時はもう既に別れる事考えてたんだろうな…と。

最近3年ぶりくらいにその当時の夢を見てしまい、
起きた時無性に切なくなった。


157 名前:おさかなくわえた名無しさん:2005/08/05(金) 18:03:11 ID:o40SFHwK
すごく仲の良かった幼馴染のA子ちゃんが、
小学2年生の時に、関西に引越す事になりました。
僕は別れるのがイヤで、引越しの前日は泣きっ放しだったそうです。
(自分は覚えてないが、両親の証言より)
引越し以降の僕の落胆ぶりに心配した両親が、
A子ちゃんとの文通を薦めてくれました。
その後、二十歳になるまで彼女との文通は続きました。

僕が成人式を終えて帰宅すると、居間に両親と女性が一人、真剣な面持ちで座っていました。
最近でこそ写真交換をしていませんが、
間違いなくA子ちゃんではないですか!
あまりの嬉しさにその場の空気も忘れてはしゃいでいると、父が悲しい目をして、おちついて聞くようにと僕を嗜めたのです。
それはとても信じられない話でした。
あのA子ちゃんは、引越して間もなく事故で亡くなっていたのです。
今、目の前にいる女性はA子ちゃんの2つ上のお姉さんでした。
当時両親は、文通を始めて元気を取り戻しつつある僕にこの悲報は残酷だと気遣い、いつきり出そうかと悩んでいたそうです。
しかし、亡くなったはずのA子ちゃんから文通の返信があり、その相手がお姉さんだと知って、その好意に甘えてしまったとの事でした。
その頃のお姉さんも妹の死を受け入れ難く、僕への手紙を妹に成り代わって書くことで気を紛らわせていたのだと、泣きながら謝っておられました。
今の僕には充分理解できる事で、両親やお姉さんを責める事は出来ませんでした。
奇しくも翌日がA子ちゃんの命日だという事で、慌てて彼女の実家を訪れたのを覚えています。
今から10年前の出来事です。 長文駄文お許しください。


169 名前:おさかなくわえた名無しさん:2005/08/14(日) 14:21:26 ID:W8shggzy
うちの爺ちゃんは80歳直前まで現役バリバリの大工。
愛想の良い方ではなく、いつも気難しい顔をしていた。
笑った顔を見た記憶も殆どない。
うちの妹はなぜかそんな爺ちゃんに懐いていてよく旅行に一緒に行ったりしていたが、私はそんなに仲良くしていたわけではなく、爺ちゃんも私に対しては厳しかった。
姉弟で爺ちゃんに殴られたことがあるのは私だけだ。

夏休みで実家に帰った。
もうだいぶ体の自由が効かなくなって、
寝たきりまでもうちょっとっていう爺ちゃん。
私の顔を見て凄く嬉しそうに笑った。
爺ちゃんのこんな顔を見るのは初めてだ。
「いつもムーっとしとるのに珍しくこんなに笑っとるわい。
よっぽど嬉しいんやな」
と婆ちゃんが言った。
幼い頃、私に厳しく当たったのも愛情だったんだと痛感した。
爺ちゃんのあの笑顔はもう絶対忘れられない。

爺ちゃんも婆ちゃんも、正月に帰るまで元気でいてね。


186 名前:おさかなくわえた名無しさん:2005/08/30(火) 23:45:15 ID:YaDG/PL7
私の部屋(生まれる前は応接室だった)にずっと母の本棚がある。
母が集めている推理小説とか過去にもらった本とかがたくさん入ってて、
私は特に本棚の中を開けてみたり触ったりもしなかった。
数年前、ちょっと捜し物をしていて母の本棚を探っていたら
「○○小学校」と書かれた母の母校の小学校の古い文集があるのが目に止まった。
好奇心だけで「どんなくだらないこと書いてたのかな~♪」って読んでみたら
他の子(母の同級生)は家族で旅行をして楽しかったとか、遠足で
みんなで遊んだ思い出とかを書いているのに対して母の作文だけタイトルが「おとうさんの入院」だった。
読むのをためらうタイトルだったけど読んでみると
「私のお父さんが入院しました」
から始まって小学生の子供が書いたとは思えないほどの深刻な内容がそこに・・・
読み終わる頃には涙が止まりませんでした。
おじいちゃん(母の父)は病気で母が高校生の時に亡くなったんだけど、とても苦労したんだなぁと思った。
私は父と仲が悪くケンカばかりしてて母が
「お父さんになんてこと言うの!お父さんを大切にしなさい」
と言うことの意味がその時やっとわかりました。
気づくのが遅かったかもしれないけど、
これからも両親を大切にしていきたいと思う。


192 名前:おさかなくわえた名無しさん:2005/09/01(木) 04:44:04 ID:Y2NUbbzo
幼少時代の話をします。


高級菓子カステラは憧れでした。

しかし、貧乏だったウチに
そんなものを買うお金はありません。

でも、あるボクの誕生日
母がパンの耳を・・・
霧吹きでしめらせて砂糖をかけて作ってくれたのです。

母「ごめんね、こんなカステラしか・・・」

しかし、
こともあろーにボクは

ボク「こんなの、カステラじゃねーや!」

なぜこんなことをしてしまったのか、わかりません・・・
ただ、うなだれてそれを拾う
母の後姿だけが印象的でした・・・

今では三食カステラを食べられるようになったものの
あの時のパンの味・・・
まずかったこと、まずかったこと・・・

せめて一口だけでも
母にカステラを食べさせてあげたかった・・・


200 名前:おさかなくわえた名無しさん:2005/09/02(金) 00:05:30 ID:UnsURPnq
中学生だった夏休み、近所の公園で行われた夏祭りに出かけ、
そこで浴衣姿のクラスの女子に出会った。
髪をアップにし、普段見慣れた制服姿とは違う格好にドキッとした。
だけど俺は照れ臭さを紛らすため、吐き捨てるように言い放った。
「ブスが何着たって似合わねぇよ!」

あれから20数年が経ち、夏が来て街角で浴衣姿の子たちを見るたび、
あの時の彼女たちの悲しげな顔が想い浮かび、切なくなる。
今だったらちゃんと言えるのに...

「かわいいね。似合っているよ。」


228 名前:おさかなくわえた名無しさん:2005/09/07(水) 02:20:51 ID:04p2dmsJ
消防の頃、俺達の遊び場は近所の公園だった。
そこに結構な頻度で「おじさん」がいて、
ベンチに座ってこっちを眺めてたんだ。
何がきっかけかは覚えてないが、
「おじさん」と仲良くなった俺達は時々「おじさん」と遊んだ。
でも「おじさん」はすぐ疲れちゃって、サッカーもすぐぬけるし逆上がりもできなかった。
「年だからなあ」と笑いながらベンチに戻っていく後ろ姿は、本当にただのおっさんだった。
ある日リフティングをしていたら、珍しく「おじさん」が熱中した。
日が暮れるまで一緒にいた。
始めはボールを落としまくっていて、「おいおいしっかりしろよ」といぶかしんでいた俺達も、汗まみれになりながら22回までできるようになった
「おじさん」をすごいと思うようになっていた。
ただのおっさんがガキに混じって真剣にリフティングしてるなんて、周りからしたら滑稽な光景だろう。
でも、「おじさん」は真剣だった。そのことが俺達を感動させたんだと思う。
23回目でボールを落とした「おじさん」に駆け寄って「おじさんすげーよ!」とみんなで言った。
「おじさん」は「そうか、すごいか」といつもより嬉しそうに笑った。
俺達は「おじさん」に敢闘賞として当時流行っていたドラクエのバトル鉛筆をあげると「ありがとな」と言って「おじさん」は帰っていった。
次の日から「おじさん」は公園に来なくなった。

「おじさん」はヤクザで、あの翌日に抗争相手の組の事務所に拳銃持って乗り込んで刑務所送りになった、ということはしばらく後に知った。
新聞にも載ったらしいが、文字ばかりだったことしか覚えていない。

「おじさん」は公園で遊ぶ俺達を眺めて何を思ったのだろうか。
あんなに一生懸命リフティングをしながら何を考えていたのか。
22という数字は俺にとってお守りみたいなものだ。


244 名前:おさかなくわえた名無しさん:2005/09/13(火) 00:55:55 ID:lyOCs7pZ
小学生の頃の親父の給料日、母親と市内に買い物に出る約束してて
学校終わってから速攻家に帰ったんだけど、親父の給料があまりにも少なくて今月どうやって生活しようと考えていたみたい。
そんな事情は全然知らない俺は
「約束破んな!」などと次々に罵声を浴びせた・・・
そしたら普段は絶対人前では泣かない母親が泣いてしまって・・・
「ごめんね」と繰り返しながらふだんよりも
高いおやつを出してずっと謝ってた。
子供心ながらに言わない方がよかったと思った、
しばらくはそのお菓子食べられなかった。。。

何故かこの時の光景は忘れようにも忘れられない・・
母さん、あの時はごめん。


300 名前:おさかなくわえた名無しさん:2005/10/03(月) 00:09:37 ID:YCTU4cm3
小学校の時、一年から六年生まで
生徒全員で同じ場所に遠足に行った。
お昼になってみんな仲良しグループでお弁当を食べていたんだけど
三歳上の兄が一人でお弁当食べているのを見つけた時は
なんとも言えない気持ちになった。


302 名前:おさかなくわえた名無しさん:2005/10/03(月) 00:42:23 ID:L/k+J+VH
よく体育で「2人組みになって~」って言うけど
俺だけ毎回一人なんだから空気読めよ筋肉バカがと何度思ったことか。


307 名前:おさかなくわえた名無しさん:2005/10/04(火) 23:55:50 ID:cwJAVoIm
小学生の時、3人グループで仲良くしていた。

ある日、課外授業の時に
二人が私よりも少し離れた場所で
「ねぇ、○○ちゃんの事(私の事)好き?」
「ううん。好きじゃない。」って会話を聞いてしまった。
心臓がぎゅーって苦しくなった。

次に二人が慌てたような声で
「ねえ、今の聞こえた?」って大きな声で聞かれた。

「ううん。聞こえないよ。」って咄嗟に答えていた。

聞こえてたよ。ほんとはね。


352 名前:おさかなくわえた名無しさん:2005/10/19(水) 00:39:37 ID:y1jvdbLh
就職して東京に住み始めた頃、会社の帰りに
都内に一人で住んでいるお婆ちゃんの家に寄ることになった。
親に「たまにはお婆さんちに遊びに行ってあげなさい」と言われてたからで
半分は楽しみ、あと半分は「面倒くせーなー」という気持ちだった。

「今夜行くからねー」と電話して、それから買い物や軽くハンバーガーなんか
食べて電話のあと2時間ぐらいしてからお婆ちゃんの家に着いた。
お婆ちゃんはおれの電話をすぐ近くの駅からだと
勘違いしたようだった。
電話のあと大急ぎで、おれが子供の頃大好きだったという
カタヤキソバを出前で注文してくれて、一人でずっと待ってた。

おれが着いたときはすっかり冷めてしまい、
お婆ちゃんはコタツでポツンと座って待ってた。
それから5年後にお婆ちゃんは病気で亡くなったが
結局その後は2回ぐらいしか行かなかっただろうか・・・

とても都会的な冗談好きなお婆ちゃんだったが
今思うと何度も遊びに行けば良かったと後悔してる。涙出てきた。


373 名前:おさかなくわえた名無しさん:2005/10/23(日) 19:14:32 ID:9KlCbHVp
厨房の頃、母親と喧嘩して
「誰が生んでくれって言った!」と怒鳴ってしまった。
しゅんとなる母親。
しばらく沈黙が続き、言い負かしたと勝ち誇る俺に、
母親の口から衝撃の事実が告白された。




俺は養子だったwww


379 名前:おさかなくわえた名無しさん:2005/10/27(木) 09:03:24 ID:aHtvLfgp
幼稚園からずっと好きだった女の子がいて小5の時に初めて隣の席になれた。もう天にも昇るような気持ちで学校が楽しくてしかたなかった。
しかし、席替えから2週間後くらいに目が悪い彼女は
先生に頼んで前の席に移動することに・・・。
授業中に「あの字なんて書いてあるの?」って聞かれるが
すごく好きだったのに。
「俺のこと好きだったら席動くはずないよな・・・」って、その時はもう死にたくなるくらい落ち込んだ。

それから1年過ぎ、6年生も終わりに近づいたとき、(その子とは住む地域から別の中学に行くことは前からわかっていた)
家庭科の授業で
「出来上がった作品を異性のクラスメイトに評価してもらいなさい」
と先生がクラスのみんなに言った。
クラス中が微妙な空気になった。
事実上の告白大会みたいな雰囲気となって、
内心みんな騒然としていたに違いない。
そして俺に「ねぇ○○、私のお願い!」と言ってきたのは紛れもない、
その彼女だった。

「!!???」内心びびりまくって、手もガタガタ震えるのとは裏腹に、
「あ~『よくできました。』っと」
と非常に舐めた態度で適当な評価を用紙になぐり書きしてしまった。

それを見た彼女は「もういいよ!○○には頼まないよ!」と
涙目で走っていってしまった。
クラスでは「誰々が何ちゃんに書いてもらってた!」という感じに
幼いながらも恋愛ムードに染まっていたが、俺はそんな流れに全く乗ることもなく隣の席のイジメられていた女の子に声を掛けて、すごく丁寧に作品を評価してあげたのを憶えている。(敢えて「あげた」と書く)

別に今では、そんなに間違ったことしてないとは思うけど、その時は
「なんでこんな偽善ぶったことは堂々とできるのに、本気で好きな子には親切にしてあげられなかったんだろう・・・」
ってすごく嫌な気持ちになっていたのを憶えている。


399 名前:おさかなくわえた名無しさん:2005/11/03(木) 20:54:16 ID:2tVNAXx+
小学6年の11月頃、女子の間でサイン帳がはやり始めた。
男子達から嫌がらせやばい菌扱いされていた私も、友達とサイン帳の交換
ぐらいはしたかったので、文房具屋で買って学校に持っていった。
緑色が基調となった葉っぱかなんかのデザインで結構気に入って買ったものだった。

でも、そのサイン帳は担任に見つかり没収されてしまった。他の子が
持ってきていてもお咎め無しだったのに、地味で暗かった(しかもデブで
天パだった)私のだけが没収されたのは今考えても不思議だ。
その後、6年生の担任の中で会議が開かれ3月までサイン帳を持ってくるのは禁止ということになった。
私のサイン帳は返却されたが、もう使う気にはならず(禁止になったのは私のせいだし)中古屋に売った。

他にも小学校時代には嫌な教員に会ったので、
絶対教員にはならないと思って生活していたが、高校1年の時の担任に
「そういう教員を反面教師にして教員になってみないか?」
と言われたのがきっかけで教員を目指すようになった。
長文スマソ


427 名前:おさかなくわえた名無しさん:2005/11/08(火) 08:11:37 ID:JSyGxVO8
死んだ母が入院する前、私がおろおろと何が食べたいか尋ねたら
果物とこたえたので、早朝に近くのコンビニへ。
果物詰め合わせパックを買おうとしたら店員のおじさんが
「それは熟れすぎたやつだからやめたほうがいいよ」
と言って他の物(最初のより高価)と交換、かなりおまけしてくれた。
嬉しくて家へと急いだなぁ。母に話したらすごく嬉しそうに食べてくれたけど、結局吐き戻してしまい涙目で「ごめんね、ごめんね」って謝られた。
母が食べた最後の物だった。


444 名前:おさかなくわえた名無しさん:2005/11/11(金) 12:25:51 ID:mqiHb13k
小学校の時卒業式の練習をしていたら、
隣にいた子が腹痛で苦しみ始めた。

うちの小学校は結構な歴史があるらしく、
行事という行事はキッチリ指導された。
特に卒業式ともあればかなり厳しい練習の繰り返しで
数時間誰の無駄話も聞こえない状態が当たり前だった。
その子はお腹をおさえて、見る見る青ざめてく。
「大丈夫?」とこっそり聞いた自分の声が、
体育系の先生に聞こえたらしく近付いてきた。
「先生が来てくれた。
これで安心、この子も保健室にも連れてってくれるだろう・・・」
と思っていたら「オマエラ!!!なにくっちゃべってんだ!!」
と理由を説明するヒマもなく、みんなの前で散々罵倒された。
一通り怒りおわった後、何で喋っていたのかと理由を聞かれ
「○○さんが腹痛だそうです・・・大丈夫かと聞きました・・・」
これでうちらの汚名は晴れる!と思ったのに
「馬鹿ヤロー!!!そんなんで喋るな!!腹が痛いなら○○は自分で
言いに来い!!お前(自分)はイチイチ反応するな!!
お前らのせいで折角の練習が台無しなんだよ!!」と更に。

なんで・・・ととても切なかった。
○○さんが「私のせいでごめんね」と後で謝ってきた。
もっと切なかった。


490 名前:1/2:2005/12/07(水) 22:26:22 ID:3s0kg3wy
あれは俺が小学校6年生のときだった。
当時住んでた家と父方の実家が近くだったので、
時々週末に家族揃って晩ご飯を食べに実家へ行ってた。
じいちゃんとばあちゃんと、オヤジ、お袋、姉貴、俺。
6人でワイワイ食事しながら団欒し、9時になったら帰る。
そんな週末がよく続いていた。
ある日、話の流れで俺とばあちゃんが腕相撲することになった。
俺は右利きだったが、わざと左で勝負した。

当時、ばあちゃんは何故か知らないが元気がなくなっているようだったので
俺はわざとばあちゃんに腕相撲で負けてあげようと思った。
俺に勝ったらばあちゃんも元気になるかなという浅はかな考えだった。
けっこう迫真の演技でギリギリの勝負を演じつつ
最後は根性負けを装った。

「いや~、ターチャン(ばあちゃんの愛称)強いやん。
俺クラスでも強い方ばい!?」
と俺はばあちゃんを褒め称えた。
皆喜んでいた。
『うしし、皆だまされとる。おれってやさしー!演技派ー!
これでターチャンもあと30年は生きるやろ」なんてほくそえんでいた。

その1週間後にターチャンは亡くなった。

風呂で眠って溺れたらしい。
俺は自分が嘘をついた罰でターチャンが死んだと思い込み、
怖くて両親には黙ったままだった。
申し訳なくて通夜では人生初の徹夜でターチャンを見送った。
一晩で何回謝っただろう?
もうじき30を迎える今でも心のどこかでは自分のせいかもと思っている。
そしておそらくはあの時のターチャンの笑顔(おそらく俺の八百長に気付いていた笑顔)
を思い出すと切なくなる。


あ、今思い出した!
確か俺の修学旅行のお土産を持って行ったときの話しだ!
そうそう、俺のターチャンへの愛情が全て裏目に出たような感じで当時はキツかったなあ・・・。


524 名前:おさかなくわえた名無しさん:2006/01/04(水) 23:12:57 ID:c0WemYy5
うちの母は酒が入るとよく抱きついてきたりキスしてきたりするんだが、ある日、いきなり抱きついたまま泣きだして
「ごめんね、あんたがこんな風になったのはママが悪いんだよね」
「○○(自分)ばっかりこんな風に病気になって可哀想」
と繰り返した。
私は昔から肌の色素が抜けてしまう病気にかかっていて(右足しか抜けてないけど)、最近は虫刺されから始まるアレルギーで腕に痕がいくつも残ったりしていた。
どちらもたしかに見た目は気持ち悪いものかもしれないが、人に移る病気ではないし自分自身自分を可哀想だと思ったことなどなかった。まわりの友人も病気のことは理解したうえで普通に接してくれている。
何より普段不必要な程明るくて、
「ったくあんたがこんないくつも病気になる所為で金かかるわー」
などと笑い話にするような母が、内心そんな風に思っていたのかと思うと情けないやら腹立たしいやらで涙がでた。
今でも思い出すと切なくなる。スレチだったらすまない。


556 名前:おさかなくわえた名無しさん:2006/01/17(火) 10:12:41 ID:1XXtxs85
2年前、高校の卒業式の二日後に親父が死んだ。
癌だった。

元々仕事人間で、甘いものが好きで、いくら禁煙しろと言ってもトイレで隠れて吸う様な煙草好き。(弟が便所に「禁煙」と紙を貼っていたが)
そんな親父が入院をして、煙草も吸わなくなって仕事もままならなくなって・・・ついに寝たきりになった。
母に介護されてるのを見るのが切なかったけど、寝たきりのベッドの隣で食べるご飯は親父が元気なころと同じ味で皆笑っている食卓だった。
ある日親父が寝ている部屋に行くと、母が笑いながら私に目配せをした。
入るのをためらっていると親父が母を口説いているところだった。

言うだけ言って寝た親父の顔を見ながら、
母が泣きながら「何か思い出してるんだよねぇ」と言っていた。

私の卒業式には出れたけど、弟の卒業式には出られなかったうちの親父。
今も実家に帰省するときは好物の
シュークリームとセブンスターをお土産にしている。


576 名前:おさかなくわえた名無しさん:2006/02/02(木) 04:59:04 ID:rVxxJqIq
痴漢にあって、すごく怖かったけど、心配かけたくなかったし、
痴漢に負けたくなかったから笑い話にしてた。
ある日、母に痴漢にあったの喜んでてみっともない、と言われた。
悲しすぎて、泣けた。私、間違ってたのかなぁ。
確かに、母と同じように思う人もいるかもしれない
でも、痴漢にあったの親にしか言ってないし、
私は痴漢にあって喜ぶ人間なんかじゃない
親を悲しませたくなくて、明るく振る舞ってたのに、我慢してたのに
なんかうまく言えないけど色んな思いでぐちゃぐちゃになって泣いていたら
今まで黙ってテレビみていたお父さんが、突然お母さんの頬を叩いた
お父さん泣いていた
お母さんは、訳が分からず、叩いたお父さんを非難してたけど、
お父さんはその後もずっと黙ってた
この時、私のことわかってくれるのお父さんだけだ、って思った
今でも、せつないって気持ちでいっぱいになる思い出


585 名前:おさかなくわえた名無しさん:2006/02/02(木) 14:07:17 ID:yQ2/xJaP
中学三年の中学校生活最後の運動会のクラス対抗リレーの時、俺はバトンを落としてしまった。
予行練習の時とかもうちのクラスは1位だった。
でも俺がバトンを落としたせいでビリになった。
生まれてから今まで本番はおろか、練習の時ですらバトンを落としたことはなかった。
自分のチームがビリだって決まった瞬間思いっきり声上げて泣いた。
中学に入って初めて泣いた。
泣いてる俺を見てみんな俺の周りに寄ってきて
「○○足めっちゃ早かったじゃん!大活躍だぞ!バトン落としたことなんて気にするなよ!」って言ってくれた。
嬉しくてさらに泣いた。泣きすぎて目が腫れた。
運動会の次の日は休日だった。明日からみんな俺のことなんて相手にしてくれないんじゃないかって不安が何度も頭を駆け巡った。
でもいざ学校に行ってみるとみんないつも通り普通に接してくれた。
バトン落としたこと謝ったら
「うち等も○○(俺)が泣いてるの見て悲しくなっちゃったよ。だから他の競技でがんばってリレーの分挽回しようって思ったんだ」って言ってくれた。
もう嬉しくて嬉しくて亜w背drftgyふいjこlp;「’だった。


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