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母親との思い出

2ch



1 - 名前:大人になった名無しさん [] 投稿日:03/11/30(日) 20:01

まだ、自分が幼かった頃は、
ただうるさかったり、ダサかったり、邪魔だなぁと思ってたけど、
何もかも無償で自分を受け入れてくれたのは
母親だけだったよね。

そんな母、お母さん、かあちゃん、
ママンとの思い出、感謝、反省を語るスレです。


8 名前:上等兵:03/12/01 19:39
幼稚園の入園式のとき。
みんなはウルトラマンや仮面ライダーの上履きいれをもっていたけど、
オレは母親の手作り・・・。
当時はみんなと同じ市販品が欲しくて、なんか恥ずかしかった・・。
でも、お母さんがつけてくれた「くまのアップリケ」と「名前の刺繍」が
なんか恥ずかしいけど、とってもうれしかった。
ありがとう、お母さん。
あの時はいやがったけど、ほんとは嬉しかったんだよ。
だって小学校5年生の時に破れるまでつかってたんだよ。
ありがとう。あなたの子供に生まれて本当に幸せです。
あの頃のあなたと同じ年になり、
自分の子供にも同じようにしてあげたいです。


9 名前:大人になった名無しさん:03/12/03 04:58
うちの母親も手作りだったよ。
手提げ袋からセーターまで
(細い毛糸で編める巨大な織り機を持っていた)。
何でもかんでも手作りなので、
無くしたり壊したりしたら申し訳ないと思った。
おかげでとても物持ちがいい息子になりました。

子供に物を大切にすることを教えるには、
自分が苦労して作ったものを持たせるのが一番ですな。


11 名前:大人になった名無しさん:03/12/03 14:21
いつも寝るまえにミルクセーキをつくってもらった

牛乳に卵の黄身と砂糖をいれて混ぜただけ
あまりうまくはないと飲むたび思ったけど
つくってくれるのがなんだかうれしかった


12 名前:大人になった名無しさん:03/12/04 12:29
お絵かきが苦手な私に、いつもいっしょに絵をかいてくれてありがとう。
あんまり上手にはなれなかったけど、
一緒にクレヨンでお絵かきしたのが懐かしいです。
いつまでも元気でね。


14 名前:大人になった名無しさん:03/12/06 19:19
15年前に逝っちまったよ。
誕生日にお小使の10円と四つ葉のクロ-バ-あげたの この間出てきて…
○○の(俺)思ひ出って書いた封筒に入ってた
(/o\)オ-ンオ-ン 甦る記憶。小4位だ。


19 名前:大人になった名無しさん:03/12/17 09:46
母は弱かった
でも偉大な人だった

亡くしてから悔恨するものだ。


26 名前:大人になった名無しさん:04/01/12 22:47
突然弁当作って近所の公園に連れて行ってくれた。
いつも来ていた所だから何で弁当持って来たんだろうな、って思ったけど。
「友達はみんな家族で旅行や遊園地に行ってるよね。家にお金が無くて
連れてってやれなくて本当にごめんね。今はこんな近場でピクニックしか
できないの。ごめんね。」と弁当食ってる時に言ってたの思い出した…。

何か自分の母親の話なのに泣けてきた…。
俺、マジでそんな事何も気にしてなかったんだよ、母さん…。


28 名前:大人になった名無しさん:04/01/22 12:51
うちの母親はわがままで、天然バカで、だらしなくて、すごく嫌いだった。
反抗期なんかとっくに過ぎた高3の頃でも本気で、
ママがいなければと思ってた。
お母さんってすごいよねって尊敬できるような母親が欲しかった。

去年、実家に帰った時に大喧嘩をした。
私が必死で働いて買ったプレゼントを「安物でしょ」と言って笑ったから。
傷つけようとして言ったんじゃない。天然なんだ。
そう思ったけど、わかってた分、頭にきた。
私が少し怒鳴ったらママもキレて
部屋に閉じこもってご飯も用意しなかった。
私が話し掛けても見向きもしないので、メールだけ入れて言葉も交わさないまま、私は東京に戻った。

2日して、メールがきた。

「悲しい思いをさせてごめん。あなたがママを嫌いでも、あなたはママたちの初めての子供だから、ママは可愛くて仕方ありません。だから、少しくらいはママのことも認めてほしいな。」

今は、そのバカぶりも笑って過ごせるようになりました。
ママごめんね。


34 名前:大人になった名無しさん:04/02/09 23:10
うちの母親は、ちょっとずつ進行する脳の病気と、
もう15年近くも付き合っている。

最初に症状が出たのは俺が中学生の頃で、
手足の震え、めまい、不安感、なんかで病院に行った。
俺が「学校行かない」やら「高校行かない」やらと、
勝手放題にほざいていた時期だったから、
家族の誰もが「疲れ」やら「精神的なもの」とか、
そんな風にしか思っていなかった。

診断は「パーキンソン病」なる治らない脳の病気だった。

それ以来、母親は毎月2度病院に通っては、
病気の進行を遅らす薬をもらってきて、
毎日必ず飲み続ける生活をしている。

俺は俺で、別に心を入れ替える訳でも無く、
何となく高校へ行き、
「やっぱりミュージシャンになる!」とほざいて実家を出て、
今だにフリーター生活が続いている。

この前の年末、実家に帰った時、
夜中2時頃、寝ている俺の部屋に来て、
「動悸がするから、起きて。」
と言って俺を起こして、床に座り込んでいた。
俺の手を握りしめて。

お母さん、
あんまり、実家に帰らなくて、
ごめんなさい。

心配ばかりかけて、
ごめんなさい。

ずっとそばにいてあげられなくて、
ごめんなさい。

こんなになるまで、
気付いてあげられなくて、
ごめんなさい。


37 名前:大人になった名無しさん:04/05/09 21:57
生まれた時から心臓に欠陥があった私。
色々苦労させましたね、お母さん。
6回の手術のうち初めての手術の時、長かった入院生活は
お母さんを独り占めできて、ある意味嬉しかったよ。
今でもあの時の事を思い出すと涙が出てくる。
どんなに心配させたかと思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいです。
病院の裏の芝生で、2人でお弁当を食べたのを憶えてますか?
もうあれから30年以上経ったんですね。
今は年に数回しか会えないお母さん。
いつも私のワガママを聞いてくれて、何でもさせてくれた事に感謝してます。
会うたびに「こっちに住みなよ」と言ってくれるけど、
未だにワガママな私は一人住まいをしていて、
こんな年になってもまだ心配させてごめんな。
本当は私もお母さんと一緒に暮らしたいよ。
朝、目が覚めた時、お母さんがいてくれたらどんなに嬉しいか・・・。
近々、また手術を受けることになるかも知れないけれど
その時には一緒に暮らそうな。
そっちで仕事見つけて、今度こそ恩返しするからな。
それまではお父さんと元気に暮らしててな。
私が帰るまで待ってて下さい。


39 名前:大人になった名無しさん:04/05/10 16:05
痴呆の末に亡くなった母の遺品を整理していた。
幼い頃見覚えのある着物、編物の道具。
そういえば着せ替え人形の洋服を編んでくれたりしたっけ。
よくあんな小さな洋服を・・・。
そして古ぼけた大学ノートが数冊。
若い頃の母の日記だった。読み進むうちハッとした。
母は若い頃に子宮の病気をしていたのだった。

「神様。お願いします。子宮を取らないで下さい。
わたしは子どもを産んでみたいのです。
自分の子供にお乳を飲ませて抱いてみたいのです。
だから、どうか神様、赤ちゃんを産ませてください」

そして数年後身ごもった子供がわたしだったのか・・・。

亡くなる少し前には、何かを食べさせてもボロボロとこぼす母に苛立ち
母のオムツを替えるのだって内心めんどうに思っていた自分。
ごめんね。ごめんね。ごめんね。
こんなにも大切に産み育ててくれたのに私は・・・。

古ぼけた写真の中の母は微笑んでいる。
「いいのよ」って言ってくれているんだろうか。
もう一度会いたい。


67 名前:大人になった名無しさん:04/07/18 17:40
お母さん、ありがとう。
小学生の遠足の日、共働きで忙しかったはずなのに
お弁当に文句言ってごめんね。
中学生の試験のとき夜食作ってくれたのに、
邪魔するなよとか言ってごめんね。
大学受験のとき、資金繰りで忙しいときなのに
分かってあげられなくてごめんね。
大学受験に失敗したのに、優しくしてくれたのはお母さんだけでした。

ありがとう。本当にありがとう。
あなたには一生かかっても返しきれないくらいの恩を受けました。
お母さん、ありがとう。


82 名前:大人になった名無しさん:04/08/30 03:09
俺が小学校低学年の頃、母が手袋を編んでくれた。
親指と、他の4本指が分かれるヤツ。
しかも手首にはフリフリみたいな飾りがあり、ボンボンもついていた。
俺は友達の大半がしている5本指でジャイアンツのロゴ入りとかの
普通のヤツが欲しくてたまらなかったが、母に悪いと思い何も言わず
毎日手袋を使っていた。

習字の帰り道に片方の手袋を落とした事に気がついた。
俺はろくに探す事もせず家に帰り手袋を落としたことを母に告げた。
母は怒らずに新しい5本指の手袋を買ってくれた。

翌週、習字の帰り、道端のごみ集積所に泥で汚れ、ガビガビになった
片方の手袋が捨てられていた。何度も行ったり来たりしながら迷ったが、
結局俺は手袋を拾わずに家に帰った。
次の日 思い返して学校の帰りに手袋を拾いに行ったが、
もう無くなっていた。

あの時のズタボロに汚れた青い手袋の姿が今でも忘れられない。
お母さん ホントごめん。
手袋ありがとう。

長文スマソ


94 名前:大人になった名無しさん:04/10/26 23:03:25
母ちゃんは俺が4つの時病気で死んだんだ。
ぼんやりと覚えてる事がひとつ。
公園でいつも遊んでた、夕方になるとみんなの母ちゃんが迎えにくるんだ。
うちの母ちゃんは入院生活が長くて、
どうせ帰っても親父は仕事だし誰もいない。
暗くなってもよく公園にいたな、兄貴が部活終わって
公園の前通って一緒に帰るのが日課だった。
その日も暗くなっても砂場で遊んでた。
そしたら俺を呼ぶ声が聞こえて母ちゃんが息切れしながら歩いてきた。
ママーママーって馬鹿みたいに叫んで走ったよ。
暗い中、ブランコに一緒に乗ろう、って
母ちゃんが俺を膝に乗せてしばらくそうしてた。
その後何日かして病院で死んじまった。
後から親父に聞いたら、自分でも長くない事わかってたらしい。
あの時母ちゃんどんな気持ち抱えてたんだ?
どうしていつも病院にいるの?ってしつこく聞いてごめん。
辛かっただろう。
来年、俺彼女と結婚するよ。
母ちゃんの分も向こうのお袋さん大事にすっから。
長文スマソ。


115 名前:大人になった名無しさん:04/11/05 00:12:53
俺は早くに実母を亡くした。物心もつかないうちに。

義理の母とは小さいときからいがみあってた。
小学校のときも中学校のときも高校のときも。
いつも文句母親にばっか言ってた。だってあいつは頭が悪いんだ。

世間の理屈なんて通じない。それまでの人生を田舎で生きてきたから。
母親にとっては狭い田舎の理屈が全てだった。

そんな態度に、なんで俺はこんなにまで理不尽を味わうんだ、ってずっと思ってた。
大学に入ってからも。

そして、数年前に俺は家を出て就職した。

そこで苦しい仕事をしながら、横目でいろんなパートさんをみたよ。
みんな元気に健気に頑張ってるんだ。

ふと、自分の母親のことを考えてみた。母親は田舎の論理で生きてきた。

それでもパートして稼いでいたんだ。
俺が気付いたときには、働いていた。苦しい世間の中で。
相当苦しかったんだろうな、って今になって思う。
母親は生き方が下手糞だから。
きっとパート先でも苦しかったんだろう。それでも頑張ってたんだ。
家に帰っても、俺は話を聞かずただ反発するばかりで。

そんなことをふと思ったのが数年前。
それ以来、遅くなっちまったけど、母親を大事にしてるよ。
思い出は決していいものじゃない。悪い言葉も吐きまくった。

でも、これからだ。家を出てしまったけど、これからは家族だ。
しっかりした家族だ。
母親が死んだら泣くだろうし、母親が怪我したって聞いたら辛い。

そんな母も最近は、俺の携帯に電話してくれる。
遠くはなれて家族愛が育ったのかな、なんて思う。

その電話を隣で聞いてた彼女が言った。
「妹と話してるのかと思ったよ」

一人っ子だった俺だから、もちろんすぐに否定した。
でも、それもいいと思った。優しく、してあげるんだ。

母親は、俺が家を出てからもまだパートをしている。
職場でもいじめられるそうだ。

「やめちまえば」
っていう俺の問いかけに、

「3ヶ月もハローワークに通ったんだから」
って必死だ。 必死だ。凄いよ。

頑張れ。俺もあんたの息子として頑張って生きるよ。
思い出は、そうだ、これからだ。後悔したくない。
十分、苦しい思いをし合ったから、これからはどうか幸せな思いを。


134 名前:大人になった名無しさん:04/11/08 18:52:35
漏れは特に親を大切にしてきたわけでもなく、
親に大学まで行かせてもらってる。
両親共働き苦労してるよ。まぁ兄弟3人だしな。

毎年、漏れの誕生日には
2000円くらいのものではあるけどカーチャンがプレゼントくれるんだよな。
20歳の誕生日って、なんとなく区切りの歳だろ。
漏れ、逆に何かプレゼントしてやろうと思って一日かけて探した。
カーチャン、コーヒー飲むのが好きだから、
結局買ったのがコーヒーミル(コーヒー豆挽くやつ)とコーヒー豆。
まぁ、それでも二つあわせて4000円くらいだ。
我ながら良い物買ったなとか思ったよ。

いつもよりちょっと豪勢な晩御飯の時に例年通りプレゼントもらった。

漏れも照れくさかったけど、
「まぁとりあえず20年ありがとうということで・・・これ」
ってプレゼント渡したんだ。

そしたら不思議そうな顔して大粒の涙をこぼした・・・
今まで、馬鹿なことして泣かしたことは何度かあったけど、
喜んで泣いてもらったのは初めてだったな。
さすがに驚いた。こんなことでも泣いてくれるのかって。
逆に自分はこんなこともしてこなかったってことだよな。

今漏れは22歳、無事就職も決まって卒業を待つばかり。
これからはもう少しカーチャンを大切にしようと思う。
無償でこんなに大切にしてくれる親って、やっぱりすごいよな。


221 名前:大人になった名無しさん:04/12/13 15:50:22
父が逝ってから急速に老いて次第に呆けていった母。
その母の介護にキリキリと目を吊り上げていた自分。
正直しんどかった。自分なりには精一杯だった。
その母が逝ったとき、介護に取られていた時間がすっぽりと空になり
さりとてどうしていいのかわからず空虚に過ごしていた。
一年経った今、色々な事を思い出す。
優しかった笑顔やあたたかかったその手。
大切だった父を亡くしてショックで老いてしまうほどだった母の心をなぜもっと理解して優しくしてあげられなかったのだろう。
しっかりしろと叱ってばかリいたわたし。
あーあー、もういちど母の作ってくれたご飯が食べたい。
わたしの作るものと味が違うんだよ。もっと優しい味なんだよ。
あー、もう一度でいいから母の笑顔が見たい。
いつだって笑ってくれてたじゃん。わたし怒ってばかりだもん。
あんなにたくさんの優しさで包んで育ててもらって、
わたしの優しさってこんなもんですか?
あんなに大事に育ててもらって、わたしって言う人間はこんなもんですか?
もういちど生まれなおして母に育ててもらいたい。
そしてこんどはもっともっと優しく母を看たい。
わたしの思いがもしも届くならば、こんな娘でごめんなさい。
それでも次に生まれるときもあなたの娘にしてください。
聞こえますか?もう一度会いたい。


234 名前:大人になった名無しさん:05/01/29 22:31:53
うちの母さんは1年くらい前に亡くなったけど、
正直それまではほとんど何とも思ってなかった。
脳腫瘍で、3年くらいかかって段々赤子みたいになって最後は肺炎。
運ばれる前まで家にいたけど会話なんて当然できない。
歩くこともできない。
それでも俺は殆ど泣かなかったし、世話もウザくて婆さんに任せてた。
けど・・・バカだったよ
やっぱりいつも俺を育ててくれたのは母さんだった
居なくなって半年くらいして、色々思い出してやっとわかったよ
ガキの頃、一人で眠るのが怖くて寝るまで居てくれたこと
親父と喧嘩して殴られたとき、まもってくれたこと
精神病で学校に居られなくて、会社から毎日迎えにきてくれたこと
思えば脳腫瘍に掛かったのだって、
俺が迷惑かけてばかりだったってのも理由の一つだろう
ストレスなるような事ばっかりしてたもんな
当時の俺、そんなことは何一つ思ってなかった
入院してて会えなくて、遠いからって理由で会いにいかなかった
家に帰ってきても、話が通じなくて何もしてやらなかった
もう、なにもできないんだよな・・・
どうやって纏めたらいいかわからなくなっちまったんで
ここで荒らしてる人たち、荒らしてもいい
でも1回荒らしたらオマイの母さんや、
身内に何かひとつでもいいから感謝してくれないか
俺みたいにいなくなってからじゃ遅いんだよ
母さん嫌いな奴も確かにいるかもしれんが、
オマイの母は世界に一人しかいないんだ
読んでくれてthx


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