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孤独や不幸に耐え明るく生きた

2ch



「俺は孤児院で育った (泣ける体験談) 2477回」

を読んで、これがネタか実話かは微妙だと思いながら、そういえばと
思い出したある女性の体験があったので投下してみる。
(間違いなく実在の話だが、記憶によるので曖昧な所あり)

まだその娘が学童期前(4歳か5歳かだったと思うが)のこと。
お父さんが運転する車の助手席にはお母さん、後部座席にはその娘と
お姉ちゃんが乗っていた。
詳細は分からないが、事故に会い車は大破。
ご両親は即死で、その子とお姉ちゃんは奇跡的に軽症で済んだが、
その娘たちに身寄りがなく、児童養護施設(=孤児院)に預けられた。
その娘は、大きな悲しみをしっかりと受け止めながらも胸にしまい、
その施設での生活で、誰からも嫌われないように、ここを出されたら
行くところがないという孤独感に耐えながら、何でも明るく、愚痴を言わず、
他の子が嫌がることも率先して行っていた。

小学校、中学校を無難に卒業し、高校3年生になり、後は卒業すれば
施設を出て、社会人として独り立ちするために、いろいろと資格も取って
備えていた頃、突然倒れた。
若年性脳梗塞。
幸いにひとりで生活できる程度には回復したが、右半身麻痺の障害が
残った。
字を左手で書けるように訓練をし、右足を引きずりながらも何とか日常
生活に支障はなく、事務職として就職も決まった。
彼女の心の傷は、体の障害以上に深かった。
「なぜ、私ばかりこんな不幸な目に会わなければいけないのか・・・。
 私は、幸せを求めてはいけないのか。
 夢を描いても、またそれを邪魔する不幸がやってくる。
 その夢が叶わないと知った時は、よけいに辛い。
 私には、不幸な人生しかないんだ。」
そう思い込み、夢や希望を捨てた。

会社では、それまでもそうしてきたように、辛いことなどこれっぽちも表に
出さず、努めて明るく仕事をこなした。
荷物を倉庫から運ばなければいけないこともある。
健常者なら何でもない荷物でも、彼女にとってはひと苦労である。
そんあ彼女を見かねて、いつもさりげなく手伝ってれる男性がいた。
いつも優しく声をかけてくれた。

ある日、その男性から食事に誘われた。
初めは断っていたが、いつも断るのは申し訳なくなり、誘いを受けとめた。
「自分を好いてくれる人なんか、いるわけがない。」
彼女は、そう思い込んでいた。
いや、そう思い込むことにしていた。
「自分は幸せを求めててはいけない」と。
いつも優しく接してくれるその男性の誘いも、同情だけだろうと思っていた。

何度目かのその男性との食事のとき、男性から、
「付き合ってくれないか。
 いや、君さえよければ結婚したい」
と言われた。
驚いた。
そんなことが、あるはずがないと、拒み続けた。
しかし、それまでも、それからも、その男性はさりげなく彼女をフォローして
くれた。
何度目かの告白で、彼女は彼を受け入れた。
しかし、どうせ彼のご両親は私を受け入れてはくれないだろう。
それでお終い。一人前に結婚をし、幸せな家庭をもつなど、私には許される
はずはない。

数日後、ご両親にご挨拶をしに、彼の家に行った。
ご両親は、満面の笑顔で迎えてくれた。
もてなしてくれている間、ご両親は、一言も彼女の障害について、
生い立ちについては聞いてこなかった。
障害は見ればわかることだし、生い立ちも彼からも聞いているだろうに。
そして、彼と結婚してくれるんだねと、本当に喜んでくれていた。
思い余って、彼女から尋ねた。
「あの、こんな私でいいんでしょうか」。
お母さんは、笑顔を崩すこともなく、
「どうして? あなたが嫌なら仕方がないけど、
 息子からは、苦労してきたのに本当に気立てが良く、優しい子だと
 きいてるわよ。
 あなたが苦労してきたからこそ信じられるのよ。
 苦労してきた人は、その分、誰よりも幸せになる権利があるのよ。
 裕福な生活がせきるほど、うちは余裕はないけど、うちの娘になって
 もらえたら、こんなに嬉しいことはないんだけど。」

彼女は初めて、心の底から嬉しくて泣いた。
こんな私を、ごく普通に接して、受け入れてくれる人たちがいたのかと。

彼女は、温かい家族に迎えられ、子供もできて、今は幸せに暮らしている。


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