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これが日本精神だよ

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名前: 日出づる処の名無し [] 投稿日: 2007/05/01(火) 12:09:44 ID:tJW3MGul
台湾の内陸部に位置する南投県埔里の町。

この埔里から霧社まで、約二十数キロの山道に、いまも桜の木を植えつづけている方がおられます。

今年、八十三歳をむかえた王海清さんです。

お訪ねしたのは、一月末でしたが、沿道には王さんが植えられた、うす紅の山桜の花が満開でした。


高雄に花咲く同期の桜


王海清さんは、日本の統治時代に国民学校で六年間、日本の教育をうけました。

そのとき、いちばん心に残ったのが、国語の教科書にのっていた「サイタ サイタ サクラガサイタ」でした。

子供心にも、まだ見たこともない桜へのあこがれが、このころに芽生えたといいます。

そして昭和十七年、王さんは志願兵として、高雄の海軍陸戦隊に入隊。

「徴兵じゃないよ、志願兵だよ」と、王さんは何度もほこらしげに話されます。

そして、そのときにうたった『同期の桜』を、うたってくださいました。


「貴様と俺とは 同期の桜 同じ高雄の 庭に咲く

咲いた花なら 散るのは覚悟 見事散りましょ 国のため

これ、日本時代の兵隊の歌。パッと咲いて、パッと散る。サッと散るのは、お国のために

死にましょうという心。歌って、思って、考えてみたよ。これが桜にこめた日本人の心だよ」


黙って、ひとりで始めること

沖縄での激戦に参戦するために、高雄で待機していた王さんの部隊でしたが、

輸送船がつぎつぎと撃沈されたために、そのまま終戦を迎えました。

戦後まもなく、王さんが移り住んだのが霧社でした。

そこには、日本人が植えた桜が、数百本も残っていたのです。それが、王さんが生まれてはじめて目にした桜でした。

「桜を見た、うれしかった。ああ、これが桜だ、と思った」


910 名前: 日出づる処の名無し [] 投稿日: 2007/05/01(火) 12:12:11 ID:tJW3MGul
ところが、その桜が、道路拡張工事のために、一本残らず切り倒されたのです。

王さんはそれが残念でたまらず、村の役場や有力者の人々をあつめて、桜を植える相談をしました。

だれが何本、だれが何本と、桜再生の相談はまとまりましたが、いつまでたっても、だれひとりとして、桜を植えようとはしません。

そこで王さんはひとり、だれにも告げず、日本人が植えた桜の種から育てた苗を、霧社から埔里への沿道に植えはじめました。

その数はなんと、一年間で三千二百本。


「これが日本精神だよ」


やがて大きく育ち、白や紅の花を咲かせるうつくしい桜。

その桜のうつくしさにひかれて、根こそぎ桜の木を持ってゆく人が、跡をたたなくなりました。

抜かれては植え、抜かれては植え、この二十年間で、王さんが「補足」した桜は、千八百本にもなります。

あるときは、桜の木を盗んでいるのを見た人が、そのあとを尾行して王さんに、

「盗んだ人の家をつきとめたから、警察に突き出しなさい」と言いました。

でも王さんは、その人をとがめようともしません。

「いいんだよ、その人が取って帰って植えても、人が見て、きれいだなと思ってくれたらいいよ。個人じゃない、みんなが見てくれたらいいんだよ」

道ゆく人が、桜を植える王さんを見て声をかけます。

「いくらで雇われてるんだね?」

村から雇われて桜を植えていると思うからです。

「月に二万元だよ」

自分でお金を出して桜を植えていることなど、だれも信じてくれないので、そう言いつづけてきたのです。

「黙って植えて、桜が咲く。それが私の成功」


911 名前: 日出づる処の名無し [] 投稿日: 2007/05/01(火) 12:13:18 ID:tJW3MGul
あるとき、自動車事故で、王さんの植えた桜の木があったために、命が助かった人がありました。

その事故がきっかけとなって、王さんが二十年間、無償で桜を植えつづけたことが、はじめてわかったのです。

そして、台湾では個人としてははじめて、台湾交通部(日本の国土交通省に当たる)から、最高の栄誉である「金路賞」を受賞したのです。


インタビューにうかがった翌朝、王さんはいつものように五時に起きて、霧社から歩きはじめます。

脳梗塞で動かなくなった右手にかわって、左手に剪定鋏をさげて……。

「王さんは、死ぬまで桜を植えつづけるんですか?」

「桜を植えると決めたら、植えつづける。これが日本精神だよ」

そのひとことが、台湾の心地よい風と、桜の彩りともに、いまもわたしの心の奥にひびいています。


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