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戦艦長門の最大速度

2ch



344 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/01/19(木) 05:33:06.45 ID:???
日本海軍は当初「長門」の最大速度を23ノットとし、本来の速度を秘匿にしていた。
当時軍艦の本当の速力等のspecは軍の最高機密となっていました。
しかし、米英は「長門はもっと速い」と疑っており、英国は、「長門」の煙突位置など
艦上構造物の配置から機関面積を予想、26ノットは出ると予測していた。
そんな時に、関東大震災が発生。この時連合艦隊は演習のため渤海湾に集結して大連沖で訓練中だった。
「東京横浜が大震災で全滅らしい」という緊急入電が同日の午後「長門」に届いた。

「長門」の司令部は直ちに全艦の訓練を中止。
「各艦は各港に寄港し、災害救助物資を搭載して東京へ」と命令を下し、全速力で東京へ向かった。
(実際のところは情報の錯綜を考慮し、十分に情報収集・整理を行ってから出港したらしく、即日日本に向かったわけではないらしい)。
九州南端をまわり大隈海峡を通過して「長門」が、単艦で、最大速力26.5ノットに近い速度で遠州灘を航行している時である。
「長門」の後方に英国東洋艦隊旗艦の巡洋艦プリマスが追跡してくるのを発見した。

当時はまだ同盟関係にあったイギリスに対しても長門の二六.五ノットの最大速力は軍機密でしたが、
流石に緊急事態が故にそのままの速度で東京へひた走る。
公海上であり、敵対行動を取っていないのでどうすることもできず、
「長門」は脇目も振らずそのまま一心不乱に最大速度で横浜へ突っ走った。
プリマスは東京湾口までピタリと2000mの間隔を維持したままついてきてしまった。
この間に長門の本当の速力測定は既にすっかり終わっており、
プリマスは「オイオイ長門さんよ、スピート違反だぜw」「災害救助活動がんばれよ!」と謂わんばかしに礼砲一発打ち鳴らし、゙ここで去っていった。
こうして、「長門」の速度は露呈し明るみに出てしまった。
とはいえ、軍機より災害救助を優先した彼女を責める事は酷でしょう。
また当時の上層部も誰一人長門の艦長を責める者はいませんでした。
ちなみに、この時の速力は約27ノット(「長門」の生涯における最高記録?)だったそうだ。


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