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バンクーバーの慰霊碑

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273 :世界@名無史さん:2013/01/26(土) 00:49:53.96 0
加来 耕三
「忘れられたバンクーバーの慰霊碑」

> だが、この「平和の祭典」の舞台で、同じ日本人がかつて、
生命(いのち)を懸けたもう一つの“物語”があったことを知る人は少ないようだ。
 バンクーバーの代表的な公園スタンレーパークに、一種奇妙な記念碑が建っている。
「日本人義勇軍戦没者慰霊碑」とでも訳せばいいのだろうか。碑文は、英語でつづられていた。
 この碑については、多少の噺(はなし)がある。
ここにいう戦没者は、約70年前の第2次世界大戦の戦死者ではない。
その前の第1次世界大戦のおり、日本の大正4年(1915)にあたる年の11月、
「加奈陀(カナダ)日本人同胞の権利獲得と名誉のために」をスローガンに、
募集された義勇兵に応募し、カナダ軍に身を投じて、
連合軍側の一員として戦った日本人戦死者のためのものであった。
 現在のカナダは、200以上の民族が暮らす移民の国として、民族や人種の多様性を尊重する
「多文化主義政策」を採(と)っていると聞くが、「晩香坡」とバンクーバーを書いた
当時=大正初期のカナダ=は、アメリカと同様、「排日」の凄まじい嵐が吹きすさび、
人種差別も重なって、日本人移住者はカナダに帰化できても「公民権」を与えられず、
当然のことながら参政権も認められない状況下にあった。
 にもかかわらず、カナダの日本人(大半はバンクーバー周辺にあった)は、
自発的に自分たちを迫害するカナダ人


を助けるべく、戦場に向かったのである。





274 :世界@名無史さん:2013/01/26(土) 00:51:12.47 0
>もっとも、義勇軍の方も、カナダのために戦ったのではなかった。
彼らはただ、バンクーバー周辺に暮らす同胞=日本人=のため、その次なる世代のために、
自らの生命を投げ出したのである。
 換言すれば、人間の尊厳を守るための戦いであった。このような日本人の軍隊は、
日本史上皆無ではなかったろうか。
> 義勇兵たちは、口を揃えていう。「われわれカナダに暮らす日本人は、
祖国を出てからこれまで、何度も何度も失敗を繰り返してきた。
いまさら、おめおめと故郷へ帰ることはできない。カナダを新しい祖国として、
この国に永住することを決意した。妻子ある者は一刻も早く、日本から家族を迎えたい。
そのためには、われわれは参政権を手に入れなければならない。ここにくらす日本人の
未来のために、われわれは征(ゆ)かねばならない。われわれはカナダの土になる。この戦いは、
アメリカに暮らす同胞のためでもあり、日本人民族としての、血税を払うことにも通じるはずだ」
> ところが、カナダ政府・軍関係者は「義勇軍を結成してくれたことは感謝するが、
採用するつもりはない」とつっぱねた。そのため、義勇軍は一度、解散に追いつめられている。
> だが、ここで引き下がっては、渇望する選挙権は未来永劫、手にすることができない。
義勇軍の中から、「26ドルの旅費を自弁して、個人的にアルバータ州カルガリー市まで出向いて、
軍に志願する者は採用する」とのカナダ軍の言葉に、一縷の望みを託して、出頭することを決めた
日本人が43名いた。ほかの義勇兵たちは、旅費が工面できなかったのである。
>大正5年6月22日、彼ら第一陣はバンクーバーを出陣、征途の人となった。「さらば、敬愛する
全加奈陀在留同胞よ! 我等は勇んで英国に向(むか)って去る。我等の凡(すべ)ては健康なり」





275 :世界@名無史さん:2013/01/26(土) 00:52:15.31 0
>たとえば、龍岡文雄という義勇兵がいた。彼は英国軍人が舌を巻くほどに優秀であり、
その上官の連隊長は、「一兵卒にしておくには惜しい、1年の休暇をやるから
イギリス本国へ戻り、士官学校に入って、士官になるように」と熱心に勧めた。
 日本人義勇兵にとっては、空前の名誉といってよい。だが、龍岡はこれをことわった。
 <御厚意を深く感謝します。然(しか)れども義勇兵仲間からはなれ、私のみが仲間から
敬礼を受くるに忍びません。殊(こと)に私は予備役ながら日本陸軍少尉でありますから、
祖国日本の命によらず、戦時抜擢とはいえ、英国陸軍の将校たることは遠慮いたします。>
(長谷川伸『生きている小説』)より)
> ことわられた連隊長は、龍岡の言葉に涙を流し、「ならば曹長をやれ」と、小隊長代理を
命じたという。龍岡はその後間もなく、最前線で両足を吹き飛ばされて戦死した。
 10数人ずつに振り分けられた義勇兵の許にも、仲間の戦死は知らされる。しかし彼らは、
勇をふるって自らの生命を捨てる覚悟で、前へ、前へとただがむしゃらに進んだ。
「白人碧眼(へきがん)を青くしてこそ、日本人の真価なり」。多くの者が、カナダ兵の楯となり、
戦場に倒れた。
 九死に一生、後方の病院に送られた戦傷者の日本人義勇兵は、ここでカナダ人、連合軍の
一員として、はじめて人種差別のない、平等な扱いを受けた。





276 :世界@名無史さん:2013/01/26(土) 00:53:32.94 0
>このとき、病院を訪れたイギリス国王ジョージ5世から、彼ら日本人義勇兵は幾人か、
声をかけられている。
 祖父江玄碩という兵士の場合は、「何国の方ですか」と国王に問われた。
 「日本人で御座います」
 「加奈陀軍に属して、ビーシー州晩香坡から参りました」とも答えている。
 国王はうなずきながら、次のように言ったという。
 「貴方が隊へ帰られたら、日本人の参戦を吾等が感謝致し居る旨、日本人諸氏に伝へて
下さい」
(山崎寧翁伝記編纂会『足跡』より)
>国王は握手すら、祖父江に求めてくれたという。翌日のリバプール・エコー紙は、
「唯一最大の光栄者」と見出しをつけ、祖父江のことを報じたという。
 やがて大戦が終わり、日本義勇軍の人々はバンクーバーに帰ってきた。戦死した
「55名」も加え、199人全員が、
このときカナダ市民としての権利=選挙権=を与えられたのである。


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